ブックマーク / mediag.bunka.go.jp (8)

  • スライドする風景<br/>――ムーヴィング・パノラマからアニメまで - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 アニメーションにおいて、人物が列車に乗ったときに流れていく風景。この風景をつくり出すための手法のひとつが生まれた経緯をたどると、19世紀初頭に発明されたムーヴィング・パノラマに行き着く。セル画や背景画がコンピュータで処理され、3DCGが普及した現在、改めてこれらの手法に焦点をあてる。 多段スライド技法の一例、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』 『魔女の宅急便』(宮崎駿監督、1989年)の序盤、主人公キキが乗った貨物列車からの風景が描かれます。背景は緻密に描かれており、ゆっくりと流

    スライドする風景<br/>――ムーヴィング・パノラマからアニメまで - メディア芸術カレントコンテンツ
  • アニメはいかにレンズの効果を模倣してきたか - メディア芸術カレントコンテンツ

    描かれている絵/画自体に焦点があてられがちなアニメーションだが、ボケ、広角、魚眼などレンズを通して得られる効果が表現として取り入れられている。稿ではなかでも日の商業アニメーションにおけるそのような効果を、黎明期ともいえる1930年代から現代に至る作品より抜粋し、変遷をたどる。 広角レンズの一例、『君の名は。』より 早世した研究者ハンナ・フランクはかつて「元来、すべてのセル・アニメーションは写真である」(註1)と述べました。僕ら視聴者は忘れがちなことですが、撮影台上でセル画や背景を重ね合わせ、それらをコマ撮り撮影することによってつくられるセル・アニメーションはたしかに絵/画を撮影した写真であるとも言えます。 とは言え、こうした事実はあまり意識されることがありません。撮影台時代のディズニー・アニメーションのキャプチャー画を見たとき、多くの人はそれを写真ではなく絵だと認識するのではないでしょ

    アニメはいかにレンズの効果を模倣してきたか - メディア芸術カレントコンテンツ
  • 海を渡った日本のゲームの子孫たち<br/>第1回 メトロイドヴァニア - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 『スペースインベーダー』(1978年)以降、日のビデオゲームは広く世界を席巻してきたが、なかには単にヒット作となるに留まらず、ひとつの様式やジャンルにおけるアーキタイプ(原型)を確立し、洋の東西を超えて参照されるようになったものが少なからずある。例えば『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)、『ダブルドラゴン』(1987年)、『魂斗羅』(1987年)、『雷電』(1990年)、『ストリートファイターII』(1991年)、『ファイナルファンタジーVII』(1997年)などだ。ビ

    海を渡った日本のゲームの子孫たち<br/>第1回 メトロイドヴァニア - メディア芸術カレントコンテンツ
  • 新型コロナとマンガ表現――その想像力と社会的役割 - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 コロナ禍に伴い、日常生活の様式から社会的ルール、人々の価値観などさまざまな事柄が変化しはじめ、人々はこれまでの生き方や社会的常識について振り返り、問い直す機会を得た。それに際して、多くの人が過去のマンガを読み直し、この状況をマンガで表現した。この社会的で集団的な出来事に際して、人々はマンガに何を求め、マンガによって何を表現し、これからマンガにはどのような可能性が開かれていくのか。記事では、関連する具体的なマンガ作品を取り上げながら、マンガの想像力や社会的な役割、マンガをめぐる

    新型コロナとマンガ表現――その想像力と社会的役割 - メディア芸術カレントコンテンツ
  • 越境するグラフィックノベル<br />第3回 グラフィック・メディスン - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 フランスではここ数年、疾病や障害をテーマにしたバンド・デシネの刊行が目立ち始めている。病院を舞台とし、医療従事者のストーリーが展開されていく類のものではなく、疾病や障害に悩む当事者の手記のようなものだ。日には多くの医療マンガがあるが、海外にもさまざまな医療マンガ/コミックス/バンド・デシネが存在し、「グラフィック・メディスン」という言葉も誕生するほど広がりを見せている。今回は、そんな医療マンガの世界を紹介する。 『見えない違い 私はアスペルガー』表紙 「見えない違い」を描く

  • 人生を豊かにするための「グラフィック・メディスン」――「医療マンガ」の応用可能性<br>第1回 「グラフィック・メディスン」とは? - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 英語圏で医療現場に取り入れられている「グラフィック・メディスン」と、日の「医療マンガ」について論じる連載。第1回は、まずグラフィック・メディスンの概念と実際の取り組みを紹介する。そしてグラフィック・メディスンの国内での応用の可能性を考えるべく、独自に発展を遂げてきた医療マンガに目を向ける。 『グラフィック・メディスン・マニフェスト マンガで医療が変わる』表紙 新型ウイルスの時代に生きるなかでの「物語の想像力」 2020年初夏、新型コロナウイルス(COVID-19)に見舞われ

    人生を豊かにするための「グラフィック・メディスン」――「医療マンガ」の応用可能性<br>第1回 「グラフィック・メディスン」とは? - メディア芸術カレントコンテンツ
  • ピクセルアートの美学<br>第2回 ピクセルアートと様式 - メディア芸術カレントコンテンツ

    「ピクセルアート」という視覚表現がある。ピクセルアートは、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っている。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」ひとつのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつある。このシリーズでは、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介していく。第2回は、ピクセルアートにはさまざまなタイプのものがあることを示したうえで、その多様さを「様式」という美術史的な視点から考える。 『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』(Superbrothers & Capybara Games、2011) いろいろなピクセルアート 第1回では、ピクセルアートとは何かをはっきりさせた。簡単に言えば、ピクセルアートとは、〈正方形に類する形をした互いに大きさが等しいピクセルの集まりでできてお

    ピクセルアートの美学<br>第2回 ピクセルアートと様式 - メディア芸術カレントコンテンツ
  • ゲーム・ミーツ・アート:ビデオゲーム・アヴァンギャルドの可能性 - メディア芸術カレントコンテンツ

    メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 2000年代半ば以降、「アートゲーム」と呼ばれるビデオゲームのカテゴリーが目立ったかたちで現れてきた。稿では、アートゲームの特徴を大まかに示したうえで、いくつかの作品を取り上げながら、ビデオゲームの前衛的な表現の方向性について探っていく。 ジョナサン・ブロウ『Braid』(2007) 「アートゲーム」と呼ばれるビデオゲーム(註1)のカテゴリーがある。簡単にいえば、芸術映画(アートハウス・フィルム)のゲーム版だ。アートゲームは、おおむね作家主義的、実験的、自己批判的、非娯楽的、

    barringtonia
    barringtonia 2019/03/07
    “自己批判的なゲームという概念には、根本的な実現の難しさがある。批判性を失うか、単なるクソゲーになるか。その合間で試行錯誤することがカウンターゲーミングの宿命かもしれない”
  • 1