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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (5)

  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 人間を直接的に相手にする職業は、基本的に余裕がなければ問題が生ずる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    休日午前、夫とタイトルみたいな話をぽそっとした。 まずぱっと思い出すのは、教育現場の崩壊や医療崩壊なんだが、それに限らず、接客業などでも同じ。すごく混雑しているレストランで、注文を間違えられたり、注文したのを忘れられて後の人のメニューが先に出てきたりする(出来上がりの順で前後するのではなく、最初から忘れられている)経験はときにある話で、そういう時フロアを観察していると、大抵、余裕がない。働いている人がいっぱいいっぱいで、単に忙しいというだけでなく、一つ間違えるとそのフォローでさらにかつかつになり、結果また次の間違いを起こす、なんていう悪循環に陥っている。こういう時に、一人でも少し余裕をもって全体を眺められる人がいると、段違いにミスが減る。レストランの場合は通常フロアマネージャーなどがその役をするが、完全に余裕がないと、フロアマネージャーまで給仕に駆り出されていて、他を見ていられないから、こ

    人間を直接的に相手にする職業は、基本的に余裕がなければ問題が生ずる - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分のべたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • では誰も結婚しないかというと - 深く考えないで捨てるように書く、また

    http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070505/p1 面白い記事であった。特に末尾部分、 もちろんこういうライフスタイルが可能になったのも、家事の機械化が進み、全般的に外注化が進んだ結果であって、半世紀前であればなかなかこうはいかない。 それだけ結婚をすることによって生じるメリットがかつてはあったということだけど、今は相対的にメリットは減少している。 子供でも出来ないことには、なかなか結婚には踏み切れないのではないか。 http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070505/p1 私を家政婦としか考えていないのかと女が怒るのはそれはそれでもっともだけど、じゃあ、家政婦としての存在意義をなくした時に、自分が相手にとってどれだけのものを提供できるのか、を考えるとそちらのほうがなかなか大変なような気もするけどね。 http://

    では誰も結婚しないかというと - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    昨日の記事、産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くに関する反響が大きくて、驚いた。 ここのダイアリーの主旨がタイトルどおり「深く考えないで」書くことなので、自分としても、きちんと整理せず、気持ちの赴くままに書いた記事だった。その分、あまりにネガティブに読める記事にもなってしまった。 だから、きちんと書かなければならないと思う。 あんなに産みたくない理由を並べた私は、だが、2人の子を産んだ。できちゃったのではない、自分で産みたくて産んだ。自分で子どもがほしいと思い、産んだ。今も、2人の子を得たことに、後悔はない。子が私たちのもとに来てくれたことに感謝し、彼女らが私の子で当によかったと思う。 私が産みたいと思った理由はなにか。これが、うまく言葉にできない。 子どもがいれば人生が豊かになる……違う。子どもがいなくても豊かな人生はあり得る。 自分

    それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書く、また
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