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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (29)

  • 「未来はいつも面白い」太田光の最後の授業- てれびのスキマ

    残念ながら9月9日の放送をもって終了した『爆笑問題の大変よくできました!』。 最終回は番組レギュラーの子供たちから「太田先生に最後に聞きたかったこと」と題して質問を寄せ、それに太田が答える形式で行われた。 太田は彼らの質問に真摯にストレートに答えていく。 どうやったら心が強くなれますか? 高校の時に友達が一人もいなかった太田。そんな状態では学校に行きたくなくなるはずなのに皆勤賞。 それに驚く子供たちは「なんで行けたんですか?」と問う。 負けず嫌いだった。 と太田は答える。 当時、高校の登校拒否とかそういうのが社会問題になってたの。俺らの世代は。 そういう子供たちの学校が今度できるようになって、その子たちがテレビでインタビューに答えってたの。 その子たちはね、「今の学校は教師も良くないし、イジメもあるし……」って「教育が間違ってる」みたいなことを言ってたんだよね。 俺はそれを見ててなんか「こ

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  • ナインティナイン矢部浩之の覚悟と笑顔- てれびのスキマ

    『27時間テレビ』で100キロマラソンを走ることになった矢部浩之は決まった当時の心境を番1週間前にスタッフとの飲みの席でこう話している。 矢部: 嫌でしたね。えーーと、絶対にスタジオにいたほうが面白いし、楽しいし、あと、、まあ……、5ヶ月近く休んだ相方がスタジオで大丈夫かっていうのも、もちろんあったり。(岡村さんには)言わないですけど。 膝は大丈夫か?と問われると「大丈夫でしょう」とヘラヘラと微笑む。 矢部: どんどん強くなっていく自分は感じてるんで、今。岡村さんがああなって、特にですよね。 岡村が精神を蝕まれた時、彼に休養を言い渡したのは矢部だった。 その詳細は岡村復帰一発目の『ナインティナインのオールナイトニッポン』(2010年12月2日深夜放送)で語られた。(参考:ナインティナイン矢部浩之の決断) 矢部: ホンマこっちは心を鬼にして。自分から休むっていわへんタイプやから、 岡村: 

    ナインティナイン矢部浩之の覚悟と笑顔- てれびのスキマ
  • 土田晃之の嫁に学ぶ愛妻芸人の育て方 - 2011-06-25 - てれびのスキマ

    土田晃之といえば、芸人でありながらの入院をきっかけに育児休暇を取るなど子煩悩で、何より愛家で知られている。 先日放送された『ブラマヨとゆかいな仲間たち』では、小杉に「なぜそんなにに一途になれるのか」「浮気をしないのか」と問われ土田らしい理詰めの理由を明かしている。 「単純に浮気がバレて離婚になってもいいの?」と。 もしそうなれば、大好きな4人の子供や嫁と一緒に暮らせなくなる。家も持っていかれるだろう。そして子供たちが成人するための養育費や慰謝料を全部合わせたら総額で2億円くらいになるのではないか。 「そんな2億の価値のあるSEXって何?」 その土田の言葉に絶句するブラマヨ小杉(笑)。 土田は「やっぱり女の人が男を育ててるんだな」と自分の嫁の素晴らしさについて続けて語る。 たとえば、土田はお笑い芸人を唯一辞めようと思ったことがあった、という。 それは大きな特番があった時。 その収録後の

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  • 笑ってはいけない『ガキの使い』の作り方- てれびのスキマ

    2009-2010年の年越しもやっぱり僕は『ガキの使いSP』でした。 回を重ねるごとにハードルが上がり視聴者の目が厳しくなっていってしまう中で、なんだかんだ言われながらも、まだまだそのハードルを飛び越えた名作を作り出す力技は当に凄いことだと思います。 そんな「笑ってはいけない」シリーズはいかにして作られていったのか、先日出版された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 公式 絶対に笑ってはいけないキャラクター名鑑』に掲載されたスタッフの証言からみていきたいと思います。 「そもそもは『七変化』とかやっていたんで、その延長上にある企画」だと構成作家の高須は振り返る。 そこで発見したのが 人間って「絶対に笑ったらいけない」と縛りをかけられると、ちょっとしたことでも心の中がガタガタくるじゃないですか。普段ならスルーできることでも、妙におかしくなる。 ということだ。 そこで、罰ゲームでやった『

    笑ってはいけない『ガキの使い』の作り方- てれびのスキマ
    bassai718
    bassai718 2010/01/10
    最近全ての仕掛けに誰かが笑っているような感じがするが、あれはスタッフ側の勝利ということかな。何か無理して笑っているように見えてしまう。
  • 立川談志の業- てれびのスキマ

    立川談春による名著「赤めだか」には以前も紹介したとおり、印象的なエピソードが満載だが、彼の初めての立川談志体験の模様も当然描かれている。 それは中学生の時。同級生たちと上野鈴へ落語を聴きに行くという企画があったという。 そこに登場した談志は、他の芸人とは明らかにオーラが違っていたという。 その高座の枕で談志は以下のように語ったという。 落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。 そこで、談志は「忠臣蔵」を例に出す。普通の芸能では当然、四十七士が主人公だ、と。しかし、赤穂藩には家臣が300人近くいた。つまり、他の250人ほどの家臣は、敵打ちにいかなかった。逃げちゃった。47人やその親族は尊敬をされただろう。一方

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  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

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  • 水道橋博士が語る松本人志論 - てれびのスキマ

    8月21日深夜にラジオ日で放送され、現在ポッドキャストとして配信されている「ラジカントロプス2.0」の水道橋博士ゲストの回。 放送作家植竹公和を聞き手に、博士が、自分の経歴から、太田光論、そのまんま東論、マキタスポーツ論と、語りに語り、すべてが聴きどころ。 中でも、水道橋博士が語る松人志論はあまりに興味深く刺激的だった。 これは実際に聴いてもらうのが一番だけど、いずれ聴けなくなってしまうと思うので抜粋してテキスト化しておきます。 博士は、40歳になるまで、ダウンタウン関連の番組に呼ばれることはあったが、すべて断っていたという。 それは「臣は二君に仕えず」という気持ちがあって。 ホントに凄いと思ってるからこそ、そこで奉仕してはならない、という気持ちがあるから仕事は受けなかった ビートたけしを唯一無二のお笑いの師に選んだに博士にとって、それに匹敵する凄さを持った者の下で仕事をすることは信条

    水道橋博士が語る松本人志論 - てれびのスキマ
  • 太田光の表現者としてのプライオリティ - てれびのスキマ

    「爆笑問題のニッポンの教養SP」では爆笑問題が東京芸大を訪問し教授陣や学生たちと「表現」について議論をかわしていた。 まず太田は日大の芸術学部に在籍した頃の自分を振り返る。 (芸術学部にいるということに)安心感があったのね。これがぬるま湯だったんです。 だから僕はものすごく自分が嫌になって、辞めたんですけども。 つまり、学生時代はみんな若いし、まだ自分の結果が出てないから、何にも。 で、みんなでこうやって芸術論戦わせてれば、(不安が)解消されちゃうみたいな時代じゃないですか? 僕は少なくてもそうだった。 それでだんだん自分がここにいること自体が、どんどん萎えてきちゃって駄目にしちゃうんじゃないかなっていう、その危機感は僕は学生時代にあったんです。 「300年後の人に伝えたい」という意見に対して、その曖昧さが「芸術」の問題点ではないかと指摘する。 太田は「今、その場にいる人に伝えたい。300

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  • タモリのたたずまい- てれびのスキマ

    5月3日に放送された「笑っていいとも!増刊号」の1コーナー「座っていいとも!」の中で木曜レギュラー陣とフリートークを交わしていたタモさん。 その中で、タモリがバラエティ番組出演中でも自然体でテンションが低い秘密を明かしていました。 何度も同様な趣旨なことは語られていますが、大事な話なので、また記録しておきます。 タモリ: あのねえ、俺から言わせてもらえば、皆が力入れ過ぎなの。 徳井 : せめて「続いては○○でーす!」っていうところくらいは普通張るじゃないですか。 高島 : 一番張ったのはいつですか? タモリ: 結構今日でも張ってたよ、俺は。 鶴瓶 : 張ってたの、あれで? タモリ: 俺にしては恥ずかしいくらい張ってたよ。 徳井 : いや、でもCM明けて「(呟くように)いいとも選手権で〜す」ってくらいじゃないですか。 タモリ: 違う違う、もっと張ってた。「い、い、と、も、選手権!」って。 鶴

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  • なだぎ武を変えた旅 - てれびのスキマ

    「自分の過去をテレビで喋ることはほとんどない」というなだぎ武。 4月1日に放送された「草野☆キッド」では「テレビで話すことは初」という話を「丸裸になるつもり」で、自分の過去を語っていた。 学生時代は、クラスの人気者とは、正反対の人間だったという彼は「あまり友達を作らず、自分が好きなものがあると、もうそこだけに依存してしまうようなそういう子どもだった」。 自宅ではいわゆる「引きこもり」状態だった。 僕が引きこもってずっと好きなテレビを見てたりとか、好きな音楽を聴いてたり、漫画を読んでたりしてたんですけど、それをしているうちにホントに人と喋れなくなって。 そういう時期は、親から声を掛けられることすら億劫になってしまうんですよ。 要するに自分の部屋の扉の前にお事を置いていただいて、それを親がいなくなると、さっと取ってべて、終わったらそれをさっと出しておくという。 僕がそういう生活をしていたら

    なだぎ武を変えた旅 - てれびのスキマ
  • 受け手としての甲本ヒロト - てれびのスキマ

    完全に記事にするタイミングを逃してしまったけど、もうだいぶ前に復刊された「splash!! 」*1では、「ぼくたちのスタンダード」と題した特集で、甲ヒロト、水道橋博士、大根仁、山下敦弘、長嶋有、タナカカツキといった各ジャンルを代表する面々が、自分にとってのスタンダードを語っている。そのインタビューはそれぞれ金言だらけなのだけど、特に甲ヒロトの言葉は、一人でも多くの人に読んでもらいたいので、今更ながら紹介したい。 甲ヒロトは「受け手」としての自分の立場を隠さない。 日々やりたいことをやってるよ。ただ、レコードは毎日朝から晩まで聴いてます。僕が音楽が好きっていうのは、まずは聴くのが好きなんだ。 (略) ずっとステレオセットの前にいます。ときどきライブやります(笑)。ときどきレコーディングもするし、ときどき曲も作ります。でも、僕は「何の人?」って聞かれたら、「レコード聴く人」って答えます。

    受け手としての甲本ヒロト - てれびのスキマ
    bassai718
    bassai718 2009/04/05
    ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズ。ヒロトの歌と言葉には何度も元気づけられている。
  • 2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」

    3月5日に放送された「アメトーーク」では「今年が大事芸人」として昨年ブレイクした芸人が数多く出演し昨年を振り返りっていた。ご覧になった方も多いかと思うが、あまりにも有吉弘行が見事に自分の置かれた立場を的確に分析し、それを言葉にしていたので書き留めておきたい。 まず有吉はブレイクするまでの軌跡を以下のように名付けた。 2007年8月  「おしゃクソ事変」 ↓  売れっ子の品川に牙を剥き浮上。 ↓ 2008年前半 「おしゃクソバブル」 ↓  「文句を言ってれば良し」という凄く楽な時期 ↓ 2008年中盤 「あだ名面倒臭い時期」 そして、有吉は「あだ名面倒臭い時期」に至った後、だんだんとやりにくくなってきている現状を具体的なエピソードを明かし訴える。 どこででもあだ名をつけてくれって言われるようになったんですよ。 ここ(「アメトーーク」)でやってるうちは良かったんですけど特徴も何もない人間につけ

    2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」
  • オードリー春日を変えた戦い - てれびのスキマ

    オードリー春日が不遇時代、「K-1」のトライアウト*1に参加していた。 この頃のことを「ゴング格闘技 09年03月号 」のインタビューで振り返っている。 きっかけは『Qさま』の「芸能界潜水選手権」での活躍だった。 そこで「体力系いけるんじゃない?」と事務所の人に言われ、格闘技にも興味がある、とポロッと口にしたのが全ての始まりだった。 「お前、M-1でもR-1でもダメだったら次はK-1しかないだろ!」と断れない語気で迫られ参加することになった。 しかし、会場に足を踏み入れた瞬間、自分が場違いな存在だと気付いた、という。 そこにいたのは、現役のプロ格闘家だったり、格闘技未経験者でもアスリートたちばかりだったのだ。 しかし、そこは「黒魔術」谷川貞治が主催するイベントである。 ある意味当然のごとく準合格という形で合宿に参加することになった。 その事実を相方若林が知ったのは「ラジかる」の芸能ニュース

    オードリー春日を変えた戦い - てれびのスキマ
  • 「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ

    いよいよ1週間後に迫った「M-1グランプリ」。 過去の例から見ても、ここで活躍をすればその後の人生を変えるといっても過言ではない大会である。もちろんこの大会に出る芸人は、それに向けて様々な努力をして挑んでいる。しかし、基的にぼくらは、その完成されたネタしか見ることが出来ない。 そんな舞台裏を描いた貴重な資料としても一級品なのが昨年のM−1王者サンドウィッチマンの「敗者復活」である。 富澤たけしが、「M-1」に向けた準備について述懐している。 2007年のM-1に向けて、僕は集中的に研究を重ねていた。 『紳竜の研究』など、完成度の高い漫才DVDを片っ端から見まくった。ただ見るだけじゃなくて、「間」を測る方法、言葉の使い方、ネタの磨き方、お客さんの的確なつかみ……取り入れるべきポイントを意識的にチェックした。過去のM-1決勝のDVDも繰り返して見た。決勝に進出したコンビが、何をやって、どうい

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  • 談志の言葉 - てれびのスキマ

    立川談春の著書「赤めだか」が、落語ファンのみならず必読の面白さであることは、ちょっとネット界隈を見まわしただけでもその評判を知ることができるし、「2008年講談社エッセイ賞」や「『の雑誌』2008年上半期エンターテイメントベスト1」などの受賞もそれを裏付けている。 このの面白さは、様々ありすぎてそれを伝えるのは、自分は力量不足なので、書に登場する師匠・立川談志の言葉をほんの一部だが引用したい。 その含蓄のある言葉の数々は、落語論のみならず教育論としても一級品だ。 「学校というところは思い出作りには最適な場所だ。同級生がいて遊び場がある。だが勉強は何処でもできる。俺の側にいる方が勉強になる。学校では会えないような一流の人に会える。学歴なんぞ気にしなくていい」 「君が今持っている情熱は尊いものなんだ。大人はよく考えろと云うだろうが自分の人生を決断する、それも十七才でだ。これは立派だ。断る

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  • 有吉弘行ができるまで - てれびのスキマ

    有吉弘行の著書「オレは絶対性格悪くない!」で、彼は自身のその興味深い半生を綴っている。 有吉弘行の最初の記憶は、両親などではなく、階下に住む女だった。 有吉が無邪気に走り回っていると「うるさい! 殺すぞ!」と包丁を持って怒鳴り込んでくるような女である。 その恐怖体験が尾を引いて「現在にいたるまでずっと人の顔を窺う」性格になってしまったと人は述懐する。 結果、3歳で田舎に引っ越すことに。 父は、野良のボスを気取ってみたり、大量のカブト虫を保有していたりする息子から見ても謎の人物で、家からほとんど出ることがなかったので、同級生の間では「有吉のお父さんを見たら幸せになれる」という伝説さえ流れる程だった。 その父親の「折り紙を覚えて何の意味がある?」という教育方針で、6歳まで幼稚園に通わせてもらえず、家でウルトラマンの怪獣図鑑ばかり読んでいたためカタカナしか読めない幼児になってしまう。 ようや

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  • 2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」

    映画ファンならずとも、昨年の*1の「日アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ

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  • 「てれびのスキマ」の3年間 - てれびのスキマ

    「てれびのスキマ」も丸3年が過ぎました。 そこで、これまでの主なエントリを無理やり分類してまとめてみました。 気が向いたら古い記事も見てやって下さい。 ■タモリ・リスペクト ●タモリのマトメ#1●#2●#3●#4●#5●ベタタモリタモリカレーの作り方●タモリの変態論●赤塚不二夫が語るタモリの居候生活 ■ビートたけしとたけし軍団 ●ビートたけしとフライデー事件(序)●#1●#2●#3●#4●#5●#6●#7●おまけ●浅草キッドの事件簿−1●2●たけし軍団命名記 ■明石家さんまの生きる道 ●かっこいいさんま●明石家さんまの眠らない哲学 ■ダウンタウンが語る。 ●松人志と「大日人」とこの後●松人志とビートたけし●浜ちゃんと志村けんの当 ■太田光の主張 ●太田光、先輩三谷幸喜への屈折した想いを語る。●三谷幸喜、反論する。●太田光が青臭い正論を吐く理由●太田光が議論を好む理由●太田光

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  • 明石家さんまの眠らない哲学 - てれびのスキマ

    今年の1月から、全17回にわたり「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された「さんまシステム」。「ほぼ日」史上に残る傑作コンテンツである。 この連載の凄さは、さんまのあの引き笑いを 「クワー(笑)」 と、表現したことだけでは勿論ない。 常々「一体いつ寝ているんだ」と言われる明石家さんまの睡眠論を探るという対談のはずだったが、案の定、それだけでは終わらず、彼の芸人論やら、生きる哲学やらを喋りまくることになったからだ。 「27時間テレビ」を期に、もう一度読みなおそうとしたところ、最初から「期間限定」と謳っていたとおり、もう見れなくなってしまっていた。あまりにも面白い対談なので未読の方は書籍化とかの際は是非とも読んでほしいところ。 ということで個人的に特に面白かったところを抜粋して引用してみたい。ダイジェストで。 まずは、さんまの眠らない生活。それがいかに凄いものであるかを表すエピソード。 さんま「で、ジ

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  • 有吉弘行が輝きを取り戻した理由 - てれびのスキマ

    いまさら言うまでもなく、ここ最近の有吉弘行の活躍は目を見張るものがある。おそらく、吉芸人との毛色の違いもありスタッフから重宝され、その安定感で信頼も絶大なのだろう。 彼の真骨頂ともいえるヒドいニックネームの命名は、先日の検索ちゃんSPでの中山秀征=「バブルの生き残り」を筆頭にまだまだ冴えわたっている。 一体なぜ、彼はこうして復活できたのだろうか? そのヒントとなるのが、前号(20年3月発売)の「hon-nin vol.06」のインタビュー*1である。その中で有吉は「芸人・有吉は数年前に死んでますから」と語っている。 猿岩石を解散して仕事が一気に減ったじゃないですか? ある月、ついに月給が0円になっちゃったんですよ。あぁ、これは芸人として終わったな、と。人生を一回リセットしたんです。そのとき。 当は芸人を辞めようと思ったんですよ。でもウチの事務所の先輩たちから「芸人を辞めるな。家賃や生活

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