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warとasiaに関するbattaのブックマーク (7)

  • 崩壊寸前のガザにて、インドネシア病院が人命救助に奔走

    ガザ北部にあるインドネシア病院は、2015年に同国民の寄付により建設された イスラエル軍は、病院がハマスの「指揮統制センター」の隠れ蓑になっていると非難し、病院を標的にした アラブニュース ジャカルタ:インドネシアの資金でガザに設立された病院は、イスラエル軍の激しい砲撃により真っ暗になった。しかし、停電や絶え間ない空爆にもかかわらず、包囲下にあるパレスチナの全医療従事者と同様、同院の医師らは業務を続けている。 攻撃による死傷者が増加し続けるなか、230床を有するベイト・ラヒヤ所在のインドネシア病院は、数千人の治療や避難を受け入れている。 同病院管理当局、ならびに2015年に同病院の建設資金を出したインドネシアの非政府組織「医療緊急救援委員会」(MER-C)は、同病院が崩壊の危機に瀕していると先週警告していた。 同病院のパレスチナ人医師、看護師、および救急隊員ら170人は、先月イスラエル軍の

    崩壊寸前のガザにて、インドネシア病院が人命救助に奔走
  • 助け待ち続ける“残留日本人”「棄民です」 フィリピン各地で…無国籍のまま戦後78年

    我々が上陸したのは電気も道路もないフィリピンの小さな島。出迎えてくれたのは「私たちは日人なんです」という高齢の女性でした。その後もフィリピン各地で「自分は日人」という人たちに次々遭遇。こんな秘境になぜ? 彼らは国籍を持たない残留日人2世でした。フィリピンには戦前、多くの日人が移り住み、麻の栽培などに携わっていました。現地のフィリピン人女性と結婚し、家族を作る人も多く、最盛期の日系人コミュニティーは3万人に上ったといいます。 しかし、日米の開戦とともに、現地で暮らしていた邦人は日軍への戦争協力を強いられます。寺岡カルロスさんは母と弟、妹を米軍の攻撃で亡くし、長兄は日軍にスパイ容疑をかけられ銃殺、次兄はフィリピンゲリラに殺されました。 戦後、残留日人2世にはさらなる苦難が続きます。激しい反日感情が続くなか、身を潜めて暮らすばかりか、当時のフィリピンは父親の国籍に属すると定められて

    助け待ち続ける“残留日本人”「棄民です」 フィリピン各地で…無国籍のまま戦後78年
    batta
    batta 2023/08/18
  • ベトちゃん・ドクちゃん「一緒に」生まれ大手術で分離、「兄の分も生きる」…1988年10月「あれから」<37>

    【読売新聞】 麻酔から目覚めると、不思議な感覚に襲われた。いつも左隣にいた兄がいない。「ナンダカナ、ナンダカナ……」。訪日時に覚えた片言の日語でそうつぶやいた。「何が起きたのか」という意味だった。 1988年10月4日、ベトナム南

    ベトちゃん・ドクちゃん「一緒に」生まれ大手術で分離、「兄の分も生きる」…1988年10月「あれから」<37>
  • 韓国軍のベトナム民間人虐殺「一切なかった」 国防相

    韓国の李鍾燮(イ・ジョンソプ)国防相(2023年1月31日撮影)。(c)JEON HEON-KYUN / POOL / AFP 【2月18日 AFP】韓国のソウル中央地裁が先週、ベトナム戦争(Vietnam War)での韓国軍による民間人虐殺について同国政府の責任を認める判決を出したのを受け、李鍾燮(イ・ジョンソプ、Lee Jong-sup)国防相は17日、民間人虐殺は「一切なかった」と主張し、上訴する意向を示した。 原告のベトナム人女性は、韓国海兵隊が1968年2月に民間人約70人を殺害したとして提訴。地裁は、韓国軍が加害者だと証明するのは困難だとの政府側の主張を退け、政府に約3000万ウォン(約310万円)の賠償の支払いを命じた。 しかし、李氏は議会の委員会で、国防省は「韓国兵による虐殺は一切なかった」と確信していると主張。判決を不服として上訴する意向を示した。 さらに、ベトナム戦争

    韓国軍のベトナム民間人虐殺「一切なかった」 国防相
  • 日本、東南アジア占領地でユダヤ人保護 英傍受公電で裏付け

    1942年3月29日 外務省からバンコクの日大使に送られた、ユダヤ人に対する寛容な保護の継続を指示する最高機密の公電の英訳。英国が傍受、解読した(英国立公文書館所蔵、岡部伸撮影) 日は第二次大戦中、枢軸同盟を結んだナチス・ドイツから再三、ユダヤ人迫害の要求を受けたが、英国立公文書館が所蔵する日外務省から東南アジアの大使に宛てた公電で、占領地に逃れてきたユダヤ人の保護を指示していたことが確認された。専門家は、世界で反ユダヤ主義が広がる中で日は難民を保護し、計約4万人のユダヤ人が生き延びたと指摘している。 ドイツのヒトラーは政権を掌握した1933年にユダヤ人弾圧を開始。満州や中国に迫害を逃れる難民が押し寄せ、近衛文麿内閣の「五相会議」は38年12月、人種平等の原則によりユダヤ人を排斥せず、諸外国人と同等に公正に扱う「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を作成。世界で唯一、ユダヤ人保護を国策として

    日本、東南アジア占領地でユダヤ人保護 英傍受公電で裏付け
  • 小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか? - 読む・考える・書く

    映画『ONODA』がカンヌでスタンディングオベーションという惨事 ゴーストライターが暴露せざるを得なかったほどひどい手記のデタラメ 小野田はとっくに戦争が終わったことを知っていた 小野田はジャングルに潜んで何をしていたのか? 小野田はなぜ津田氏のルバング島行きを嫌がったのか フィリピンで戦った英雄は断じて小野田などではない 映画『ONODA』がカンヌでスタンディングオベーションという惨事 1974年3月、フィリピン・ルバング島のジャングルに30年潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が帰国した際の歓迎ぶりはすさまじいものだった。 政府が彼のために日航特別機を用意したことから始まり、機が羽田に着陸する30分前からNHKは特別番組の実況中継を開始、小野田が降りるタラップの下には百人近い政府関係者が並び、またそれ以上の数の報道陣がカメラの放列を敷いていた。 まるで戦勝国の凱旋将軍が帰国したかのような扱

    小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか? - 読む・考える・書く
  • 戦後75年「私の父は誰?」 真実を探し続けるオランダの日系人たち - Yahoo!ニュース

    「父が誰か、知りたい」「日で父の墓参りをしたいのに手掛かりが何もない」……。日から遠く離れたオランダで、そんな思いを抱き続ける日系人たちがいる。70代以上のお年寄りばかりで、多くは高齢になってから「父は日人」という出生の秘密を知った。なぜ、そんな日系人たちがいるのか。オランダと日、その高齢者たちが生まれたインドネシア。第2次世界大戦に起因する彼らの過酷な人生を追った。(文・写真:奥山美由紀)

    戦後75年「私の父は誰?」 真実を探し続けるオランダの日系人たち - Yahoo!ニュース
    batta
    batta 2020/08/10
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