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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/william1787 (13)

  • ボストンの密貿易業者と海賊 - 研究生活の覚書

    仕事の関係で時々ボストンに行く。その時、マサチューセッツのあちこちを歩き回り、その過程で墓地をずいぶん見て歩く。そのたびに、ボストンの墓石に髑髏の絵が刻まれているのがいつも不思議だった。ジョン・ハンコックやら、サミュエル・アダムズのような有名人の墓も髑髏のデザイン。別にこれが西欧社会の伝統ではないし、アメリカの伝統でもない。それでハーヴァードの某偉い先生に、どういうことか尋ねたが関心がないようだった。 心のどこかで「何故なんだろう」と漠然と思いながら何年もたったある日のこと。漂流民の研究をしているアメリカ人留学生と雑談していた折この話をした。「あれだね、アングロ・サクソンってのは、所詮蛮族だね。墓石に骸骨の絵を刻んでいるんだよ。あの感覚は、どうしたもんだろう」と言うと、彼は少し考えて、「海賊の影響じゃないですか」と言った。 私は恥ずかしい人間ですね。予見というのは恐ろしいもので、共和主義だ

    ボストンの密貿易業者と海賊 - 研究生活の覚書
  • アリストクラシーとセンシビリティ - 研究生活の覚書

    アレクシス・ド・トクヴィルが生きていた時代のフランスは、復古王制期のフランスだった。それはスタンダールの『赤と黒』で描かれる、新旧が交わることなく同じ空間に並存する不思議な時代であり、名門貴族の家に生まれた彼が、まさにあの時代に「デモクラシー」を歴史の原動力と喝破したことは、やはり凄いとしか言いようがない。リパブリカニズムではない。デモクラシーを論じたのである。あの時代に。もちろん彼の親族は完全な王党派である。そんな親族に彼は、「デモクラシーは必然なのですよ」と説得する。 トクヴィルが訪れたアメリカは、ジャクソニアン・デモクラシー期のアメリカだった。彼は、デモクラティックな制度を支える「心の習慣」に着目したわけだが、その際に彼が気づいたのは、デモクラティックな社会と、アリストクラティックな社会の「センシビリティ」の違いだった。彼によれば、デモクラティックな社会は、他者に対する想像力が広いの

    アリストクラシーとセンシビリティ - 研究生活の覚書
  • 好感情の時代 - 研究生活の覚書

    アメリカはなぜ二大政党制なのだろうか。もちろんこれに回答するには、アメリカの選挙制度はなぜ「勝者総取り」なのを考えた方が良い。選挙制度のほとんどが、勝者総取りならば、二大政党にならざるを得ないのだから。ではなぜ勝者総取りになったのか。 リチャード・ホーフスタッターは、The Idea of a Party System: The Rise of Legitimate Opposition in the United States, 1780-1840 (Berkeley: University of California Press, 1969)というの中で、次のように言っている。 <partyというのは、アメリカ革命以前の世界では、政治的には腐敗したものであると認識されていた。・・・それは文字通り部分利益を意味していたのであり、公共善とは相容れない現象であると考えられていた。そしてこう

    好感情の時代 - 研究生活の覚書
  • 穏健派奴隷制反対論者の親子(1) - 研究生活の覚書

    アメリカ合衆国の外交文書を調べていると、Quasi-Warという大きな括りがある。日語では「宣戦布告なき戦争状態」と訳されていて、建国期における米仏のカリブ海における緊張状態をさす。年表では1798年から1800年としているのが多い。 アメリカ政治史の教科書によれば、ジョージ・ワシントンは1797年かの有名な「告別の辞」の中で、合衆国が「諸外国」との通商を行うに当たっては、「できるかぎり政治的結びつきをもたないように」することを言い残し、これを受けるように1800年に第三代大統領に就任したトマス・ジェファソンがルイジアナをフランスから購入した(1803年)のを契機に、外交的には孤立主義を確立し、大陸国家の建設を行ったという風に整理されている。日の教科書もアメリカの教科書もそんなに大きく違わない。 お分かりのように、Quasi-Warの期間がスポンと抜けている。要するにジョン・アダムズ政

    穏健派奴隷制反対論者の親子(1) - 研究生活の覚書
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/05/23
    相変わらず面白い歴史もの書きますね。
  • 教育論への誘惑(3) - 研究生活の覚書

    ルソーは「天使の国には政治はない」と言っている。トマス・ペインは「政府とは必要悪である」と言っている。ということは、政治というのは基的に悪魔の世界に属する技術で、政治が道徳的にすぐれた市民を育成しようとすること自体が、当は筋が違うのかもしれない。人間には度し難いところがあるから政治が必要であるのに、政治指導者が教育を語るのは、政治家としての敗北宣言みたいなものかもしれない。 「かもしれない」と書いたのは、もちろん留保をつけざるを得ないからである。「政治家が教育を説くのは、悪魔が道徳を説くようなものである」と言い切れれば歯切れは良いが、そうは簡単に割り切れないのも事実である。例えばデイヴィッド・ヒュームは、「政府の姿とは、その国民の公約数である」と言った。かりにそれがどんな酷い専制権力だとしても、国民の性格や国民の心象風景と完全に乖離している権力は成り立たないと彼は考えた。私はこれは

    教育論への誘惑(3) - 研究生活の覚書
  • 教育論への誘惑(2) - 研究生活の覚書

    公民教育とは、「政治的責任の主体となり得る市民」を育成するための教育で、18世紀の文脈では王政と対立する概念である。フィロゾーフたちの認識では、人間が腐敗堕落したために、共和政が成り立たなくなり、王政が生まれたという。だから「革命」というのは、国王を殺すだけでは終わらない。市民を作りださなければ、再び別のカエサルが玉座に座ることになる。カエサルが再び誕生するのを防ぐためには(共和政を守るためには)、愚劣な民を市民として再生しなければならない。根から叩きなおさなければならない。革命とは政治体制を転換することだけではなく、市民を創造することによって成就するわけである。こうして、ルソーが「個人」レベルで構想した教育論が、国家レベルで展開されることになる。 1791年に公教育委員に選出されたコンドルセは、公教育計画を準備するために、フランス中の家庭をくまなく調査・分析する。すると、富裕層は生活費

    教育論への誘惑(2) - 研究生活の覚書
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/03/17
    昔っから人間って教育大好きなのねえ。
  • 教育論への誘惑(1) - 研究生活の覚書

    古典に属する思想家の作品などで、その人物が理想の教育について語り始めると、だいたい思考が行き詰まりに入ったなというのが分かる。理想とする国家論を実行にうつそうとしたり、現状の度し難さについての不満を解決しようと考えると、最後は「教育」という万能薬を必要とするようになる。 政治権力を持つ人々も基的にはそうで、中曽根内閣の末期のように教育に手をつけ始めると、いよいよ手詰まりということである。ただ、政治的には教育改革というのは使いやすい手段で、要するに手っ取り早く業績を残せる割には、そのマイナス効果が具現化するのはずいぶん先のことになるので、責任を問われなくてすむのである。仕事をやったという証拠はのこせるのだが、その帰結がでるのは誰の責任か分からなくなるくらい先のことになるのだから。 もちろん教育を主体とした理想国家建設は上手く行かない。その理由はよく分からないが、たぶん万能薬というのはないの

    教育論への誘惑(1) - 研究生活の覚書
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/03/17
    "古典に属する思想家の作品などで、その人物が理想の教育について語り始めると、だいたい思考が行き詰まりに入ったなというのが分かる。"w
  • doux commerceという物語(1) - 研究生活の覚書

    1778年の米仏同盟条約(Franco-American Treaty of Amity and Commerce)は、18世紀初頭から激化してきたイギリスとフランスとの間の商業戦争の文脈の中で締結された。商業戦争、すなわち重商主義政策どうしの衝突であり、具体的には1701年から1714年のスペイン継承戦争、1740年から1748年のオーストリア継承戦争そして1756年から1763年の七年戦争がそれである。もちろん、これらの戦役にはいろいろな説明が存在するだろうが、このように整理すること自体は可能であろう。 七年戦争アメリカ大陸においては、イギリス系植民者とフランス人・インディアン同盟との戦闘という形で行われ、前者が勝利したために、「フレンチ・インディアン戦争」といわれている。この七年戦争の西インド諸島方面の海戦において、イギリスはフランスのシュガー・コロニーズを奪い取った。ここが歴史

    doux commerceという物語(1) - 研究生活の覚書
    bhikkhu
    bhikkhu 2007/01/18
    "「商業」は、自他ともに発展させていくから素晴らしいのだという。そしてアメリカ革命の提示した価値観はこういった「商業」なのだと言う。"
  • 科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書

    19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ文化をみるとき、無視しようとしてもどうしても無視できないのが、スピリチュアリズムのブームである。交霊会があちこちで催され、霊媒師を通して霊魂との交流が行われた。ソローやエマソンの作品もこういう時代の雰囲気を知っていないと、当には理解できないんだろう。特に、スゥエーデンボルグの霊界探訪の記述は、この時代の文学者にベッタリと影響を与えていて、確かエマソンの母親はスゥエーデンボルグの信者だったはずである。 実はこういう心霊主義のようなものは、アメリカには植民地時代からわりと多くて、それは定期的に起こる信仰復興運動とは、また別の位相のものとしてずっと存在してきた。理由はよく分からないが、一つ考えられるのは、アメリカにはヨーロッパにおけるような確立した教会組織があまりなくて、こうしたキリスト教的には異端的ものが比較的存在しやすかったというのはあるだろう。魔女裁

    科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書
  • ジェファソンはアダムズに勝つべきだったのか - 研究生活の覚書

    「トマス・ジェファソンが合衆国大統領になったことは、アメリカ史にとって良かったのか?」というテーマの研究がアメリカ建国史の中にはずっと存在している。同じ意味だが、「ジョン・アダムズが再選されるべきだったのではないか」というテーマである。日と異なり、アメリカン・スタディーズにおける建国史の地位が依然として高いアメリカにおいても、このテーマは、マイナー中のマイナーである。だって、政治史にはない話なんだから。しかし、カリブ海域におけるイギリス、フランス、アメリカスペインの外交史に注目し、このあたりの文献を読み続けていれば、結局はこういう疑問に行き着くことになっているのである。最近では、Le MoyneカレッジのDouglas R. Egertonなんかがその筋では有名である。18世紀の終わりから19世紀初頭のカリブ海における外交は、実は非常に面白い分野で、ここに注目すると、実はジョン・アダム

    ジェファソンはアダムズに勝つべきだったのか - 研究生活の覚書
  • デモクラシーを愛す - 研究生活の覚書

    アレクシス・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の最初の巻は、1835年にフランスで出版された。同書は、その年のうちにヘンリー・リーヴ(Henry Reeve)が英訳したので、すぐに英仏の読書会の話題をさらうことになったが、それが当のアメリカ合衆国に流通したのは、ずいぶんあとのことになった。理由は、当時の米仏関係が極めて険悪であったことに加えて、同書に示される主張が、ホイッグ(イギリスのそれではなく、フェデラリストの系統を引く保守勢力。ここにも保守とリベラルの大西洋両岸の違いが見られる)の社会観・歴史観が強いということで時のジャクソニアンたちが反感をもったためであると言われている。ちなみに、同書の最初のアメリカ版は、リーヴの英訳を無断でコピーしたもので、どうやらトクヴィルは終生アメリカからは印税をまったく受けられなかったようである。 彼の『デモクラシー』の中で、アメリカ人たちが特に反

    デモクラシーを愛す - 研究生活の覚書
  • ラディカル・モメント - 研究生活の覚書

    第二代大統領を引退したジョン・アダムズと、第三代大統領を引退したトマス・ジェファソンは、後世から「アメリカン・ダイアローグ」と呼ばれることになる書簡のやり取りを行っている。手紙の文章というのは、外国人にとっては論文よりもはるかに読みづらく、気楽には取り掛かれない。毎日カードに置き換えながら、一つ一つ仕上げていくという作業を続けることになる。そうしないと、いざ論文を書こうというときに使用できないからである。「あれ?これって二人は、どういう見解だったっけ?」と大抵は真夜中に気になり始め、文献から探そうとするが、分厚い書簡集からはなかなか関係箇所が見当たらず、斜め読みしようにも、ほとんど眠っていない頭では、雑で省略の多い英文は容易に頭に入ってこない。そういうわけで、原典に当たらなくてすむようなシステムを作っておかなければならなくなる。 そういうことに倦んでくると、久しぶりに原典を無作為に読んでみ

    ラディカル・モメント - 研究生活の覚書
  • フェデラリズム余話(1) - 研究生活の覚書

    以前、有名なロシア政治研究の大御所のS先生と二人で昼をとっていたとき、こんな会話をした。 先生「アメリカ連邦制のモデルが、実はインディアン諸部族の連合形態をモデルにしているって話を聞いたことがあるんだけど、どうなの?」 私「はあ・・・。そんな説もありますね。そういえば、フランクリンが友人への手紙の中でインディアンの政治形態をずいぶん詳細に書いています」 先生「インディアンっていうのは、もともと中央アジアにいたモンゴロイドだよね。だとすると、それは当然なんだ。彼らは基的にフェデラリズムで存在している。だから、アメリカ大陸に渡ったモンゴロイドがフェデラリズムを構成しているというのは分かる話だ。でね、今の日国憲法はアメリカが作ったわけで、アメリカの連邦憲法の影響が日にも少しは流れているとしたら、これは壮大な太平洋史観になって非常に愉快だと思うんだ」 学術の中心にいながら、こういう飛び道具

    フェデラリズム余話(1) - 研究生活の覚書
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/01/21
    フェデラリズムとかインディアンの部族連合とか。
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