ラジオ街から電化製品街、PC街、そして“萌え”の街へ。戦後以来、姿を変えてきた秋葉原(アキバ)。「アキバは知を集積し、全国に伝える現代の高野山だ」――秋葉原再開発計画を推進し、「秋葉原クロスフィールド」をプロデュースした東京大学客員教授の妹尾堅一郎さんが3月12日、情報処理学会のイベント「ワクワクIT@あきば2008」で「アキバ学ことはじめ」をテーマに講演し、アキバの歴史や特殊性、将来性を語った。 ラジオ街から萌えの街へ 戦前の秋葉原は「あきばっぱら」と呼ばれる原っぱだった。火事の際、江戸城や寛永寺への延焼を防ぐための火除け地で、秋葉原という名の由来となった「秋葉神社」(台東区)も火除けの神社だ。「あきはばら」と呼ばれ始めたのは戦後、JRの秋葉原駅が「あきはばら」という読みを付けたことに由来する。 戦後、アキバはラジオ街に変わった。ラジオ部品などを売る露天商が集まって商売していたのを、GH