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哲学に関するcartman0のブックマーク (14)

  • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その3):どのような研究実践が推奨されているのか - 研究日誌

    今日も続きの話を、しかし短めに。まずはおさらいから。 Sauerの言いたいことは、要するに次のように再定式化できるものだった。 もしあなたが特定の哲学の問題について、真だと考えることを支持する理由のある考えを手に入れたいならば、歴史上の哲学者の著作を読むことは不要である。 ここでの「特定の問題」とは、哲学の歴史のなかで一貫して問われ続けているような問題のことだ。詳しいことについては「その2」を読んでほしい。 おさらい終わり。 さて、今回の話に入るためのとっかかりとして、上の主張に対する「筋違いの賛意」をひとつとりあげよう。Sauerに同意して、「そのとおりだ。哲学に哲学史はいらない。自分の頭で考えなければ哲学じゃない」と考えることは、残念ながら要点を外している。少なくとも、「自分の頭で考えること」を「特に参考文献を使わずに、あるいは入門書のたぐいを軽く読んだうえで哲学的な問題について取り組

    現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その3):どのような研究実践が推奨されているのか - 研究日誌
  • 飯田隆選『分析哲学 これからとこれまで』読者のための分析哲学ブックリスト - 株式会社 勁草書房

    勁草書房では「分析哲学」と呼ばれる分野の哲学書をたくさん刊行してきました。主に英語圏で発展し、現代哲学のスタンダードとして定着している分析哲学ですが、日ではいまひとつなじみがないという方もいるかもしれません。 このたび小社では、日におけるこの分野の第一人者として、長年「分析哲学とは何か」という問いに向き合ってきた飯田隆先生のエッセイ集、『分析哲学 これからとこれまで』を刊行いたしました。哲学とは何か、分析哲学とは何か、哲学は今後どこへ向かうのかといった問題を、多くの人に開かれた言葉で論じたエッセイの数々をおさめています。 こちらのページでは、さらに分析哲学に親しんでもらうために、飯田隆先生おすすめの分析哲学書をご紹介いたします。「日語で書かれたオリジナルなもの」、「専門書ではなく、一般の読者向けに書かれたものを主とする」という基準で選書いただいています。 リストを通して、日でも分析

  • ガダマー『真理と方法』を解読する

    ガダマー 『真理と方法』は、ドイツの哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマー(1900年~2002年)の主著だ。1960年に発表された。 ガダマーはマルティン・ハイデガー(1889年~1976年)やポール・リクール(1913年~2005年)と並んで、解釈学の分野ではボス的な人物だ。ハイデガーに強く影響されており、書でいう「解釈」自体、ハイデガーの主著『存在と時間』の議論をもとにしている。 書はとにかく長い。大学で哲学を専攻していなければ読もうとは思えないほどのボリュームだ。哲学を専攻しているひとでも読む機会はほとんどないかもしれない。 ただ、初めに言っておくと、長さと対照的に中身は薄い。読み通すのに根気が要るので、ガダマーの独自性や優位性を自信たっぷりに論じる解説を読むと「そうなのかな…」と思わせられてしまう。やっかいな作品だ。 とりあえずまとめてみる 書の主張をものすごくシンプルにまとめる

    ガダマー『真理と方法』を解読する
  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

  • Philosophy of Science Books in Japanese

     科学哲学日語ブックガイド (最終更新 2023年12月18日) 伊勢田哲治 近年日語でよめる科学哲学の書籍も増えてきたが、そのためどういう順番で何を読めばよいかわからないという問題も生じている。科学哲学に関する情報も最近はかなりインターネットで調べられるようになってきたが、中途半端な知識で書かれた不正確なものも多く、信頼できる書籍の重要性は以前と変わらない。 リストに収録しているのは日語の書籍(一部論文)のみである。英語に特に抵抗がないなら、専門外の人でもStanford Encyclopedia of Philosophyなどの英語の情報源に向かった方が効率よく科学哲学の研究動向を知ることができる。 凡例 ・紹介した中には絶版書も多いが、図書館等で利用できるだろうことも踏まえて、特に入手可能なものとそうでないものを区別はしていない。 ・科学哲学を專門としない人が読むことを想定

  • 三浦俊彦の時空間(分析哲学,論理学,可能世界,人間原理,美学,小説,環境音楽):[WebMaster = 松下彰良]

    諸活動(全体の目次)  単行  書評 (参考) 主な研究活動ほか / 主要業績等 Activities(メンテを中断しています) 消えた Out of Print Materials  小説TEXT アフォリズム日記_過去の日記(H20年5月31日まで) アドホック日記(不定期更新) Diary2 環境音楽センター Environmental Music (miurat2) 柳瀬尚紀=三浦俊彦・ハガキ通信 (sakura internet) 自作怪獣-対戦レポート付 Monster, with fighting report (miurat4) <人間原理>と<可能世界>のページ (miurat1) 健康品 Supplement 新掲示板(8月1日から) Electronic BBS 旧掲示板(過去ログ) (2022年7月31日まで) ブログ BLOG(適宜更新!)  訪問帳 Gue

  • 結局ハイデガーは『存在と時間』で何が言いたかったのか(轟 孝夫) | 現代新書 | 講談社(1/5)

    20世紀最大の哲学者のひとり、マルティン・ハイデガー。彼が90年前に出版した『存在と時間』は、ハンナ・アーレントら哲学者はじめ、フランスではサルトル、フーコー、ドゥルーズなど「ポストモダン主義」の思想家たちに多大な影響を与えた。また彼の説く「来性」は日人の「道」の感覚に通じることから、日でも大変人気の高い哲学書として読み継がれている。 しかし同書は「難解の書」としての魅力も放っているため、チャレンジしてみたものの意味がわからず途中で断念した方も多いのではないだろうか? なかには「哲学」という言葉のイメージに敷居の高さを感じ、手が伸びずスルーしてしまう方もいるだろう。 このほど轟孝夫氏著した『『存在と時間』入門』は「ハイデガーが当に言いたかったこと」を10年かけて解明した一冊だ。ハイデガーの説く「存在」とは一体なんなのか?――今回は特別に入門の入門として、誰も解けなかったその「真理」

    結局ハイデガーは『存在と時間』で何が言いたかったのか(轟 孝夫) | 現代新書 | 講談社(1/5)
  • ヘーゲルとフッサールについてのメモ - yamachanのメモ

    『ハイデッガー全集 第32巻 ヘーゲル『精神現象学』』を読んでいると、ヘーゲルとフッサールの差異に関する言及があったのでメモ。 ヘーゲル『精神現象学』 (ハイデッガー全集 第32巻) 作者: マルティン・ハイデッガー,藤田正勝,アルフレド・グッツオーニ 出版社/メーカー: 創文社 発売日: 1998/11 メディア: 単行 この商品を含むブログを見る まずは、「経験」概念について、ハイデガーは次のように語る。 わたくしたちは「経験」の二つのグループと概念とを簡単に次のように区別する。 (1)経験をするー何か或ることについての意見を、直観によって事柄自身に照らして証明し、その正しさを確証する。 (2)経験をするー事柄自身に、それに関して真実にはどのようになっているのかを、言いかえればそれ自身の正しさを示させる、すなわち事柄自身に自己をその真実のあり方において示させる。(37) そして、ハイ

    ヘーゲルとフッサールについてのメモ - yamachanのメモ
  • METAPHYSICS

  • 反証可能性 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月) 反証可能性(はんしょうかのうせい、英: falsifiability)またはテスト可能性[1]、批判可能性[1]とは、「誤りをチェックできるということ」であり[2][注 1]、「科学的理論は自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」という科学哲学の用語である[3]。方法論として「トライアル&エラー」(試行錯誤)とも呼ばれる[3]。 科学哲学者カール・ポパーは、反証可能性を科学的基条件と見なし、科学と非科学とを分類する基準とした[4]。反証可能性は、「ある言明が観察や実験の結果によって否定あるいは反駁される可能性をもつこと」とも説明される[4]。 概要[編集] 「絶対的

  • 中国語の部屋 - Wikipedia

    中国語の部屋(ちゅうごくごのへや、Chinese Room)とは、哲学者のジョン・サールが、1980年に “Minds, Brains, and Programs(脳、心、プログラム)” という論文の中で発表した思考実験[1]。 中国語を理解できない人を小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるという内容。チューリング・テストを発展させた思考実験で、意識の問題を考えるのに使われる。 思考実験の概要[編集] ある小部屋の中に、漢字を理解できない人(以下Aとする)を閉じこめておく。この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通してAに1枚の紙きれが差し入れられる。そこにはAが見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、Aにしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。 Aの仕事はこの記号の列に対して、新たな記号

  • カオス理論 - 哲学的な何か、あと科学とか

    カオス理論 カオス理論とは何か? ようするに、 「あまりに複雑になっちゃうと、未来を予測できません」 ということだ。 たとえば、「明日の天気」とか 「ヒラヒラと落ちる木の葉の動き」とかの自然現象について、 カオス理論では、「複雑だから絶対に未来を予測できません」と述べている。 普通は「ええ〜?そんなことないでしょ」と思うかもしれない。 「どんな自然現象でも、結局は、 単純で機械的な物理法則からできているんだから、 どんなに複雑になっても、 『がんばれば』ちゃんと未来を予測できるんじゃないの?」 と考えるのが人情だ。 でも、カオス理論は、「がんばっても無理!」と言う。 まずは、複雑なシステム(複雑系)について理解しよう。 単純な機械をたくさん組み合わせて、どんどん複雑にしていくと、 一体どうなるのか? そのシステムは、 「初期値をちょっと変えただけで、まったく違った結果を生み出す」 という性

  • 「頭の回転」は才能ではなく努力で鍛えられる 〜 打ち合わせのアドリブ力を上げる4つの要素 | Social Change!

    一方通行の報告だけの会議は生産的ではありません。生産的な会議とは、その場でディスカッションをしてアイデアを出し合って、その打ち合わせの時間内に結論や成果を出すような会議です。そのためには、打ち合わせでの発言の質が大事になります。 会議で良い発言をするためにも、頭の回転の速さが求められますが、それは才能ある人だけの特権でしょうか。否、そんなことはなくて、努力をすることで身につけることができるのではないか、と私は考えています。この記事では、会議でのアドリブに強くなるための思考スピードを鍛える方法について考察しました。 デキる人は「持ち帰って検討します」を言わない 打ち合わせをしていても、その場で考えることをギブアップして「持ち帰って検討します」「あとで考えてみます」みたいな発言が出ることがあります。そうした後回し思考の発言が出ると、打ち合わせは進まなくなってしまいます。 優秀だなと思う人との打

    「頭の回転」は才能ではなく努力で鍛えられる 〜 打ち合わせのアドリブ力を上げる4つの要素 | Social Change!
  • 多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由

    ここらで、「哲学は~でないか?」というテーマを終えて、そもそも「哲学とは何であるか?」を語ってみましょう。哲学に相当長く首を突っ込んでいる輩なら、世間で言われるように「真理の追究」(あるいは「真・善・美」の追究)と答えてみても、何か嘘くさいと感ずることでしょう。 なぜなら、「真理の追究」と答えて済ましていられるのは、「真理」という言葉に疑問を抱いていないからであって、この言葉自体に疑問を抱くと、たちまちこう答えてもまだ何も答えていないことに気づくからです。 哲学は「真理の追究」なのか? たしかに、「真理」を国語辞典で調べれば、あるいは調べてみなくても、日常的にほぼその意味を知っている。しかし、哲学は、まさにその日常的使い方に基づきながらも、それを彫琢し、変形し、さらに思いもかけないほど別のものにすることすらあります。 いいでしょうか? 「哲学とは何であるか?」と問うて「真理の追究」と答えた

    多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由
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