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自殺と哲学に関するcastleのブックマーク (9)

  • 「なぜ私たちは自殺をしてはならないのか?」、哲学・思想の歴史から導かれる「意外な答え」(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz

    「なぜ自殺をしてはならないのか」。この問いに導かれて、アメリカ歴史学者ジェニファー・マイケル・ヘクトが哲学の歴史の森に分け入り、思索し、著した『自殺の思想史――抗って生きるために』の邦訳が、このたび、みすず書房より刊行された。批評家のベンジャミン・クリッツァー氏が、同書の議論を紹介する。 「自殺」の論じられにくさ 「自殺」は重大な問題だ。大半の人は、家族や友人が自殺をしようと考えていることを知ったらそれを阻止しようと努力するだろうし、親密な相手が自殺を検討したことがあるという事実を知るだけでもショックを受けるだろう。自分自身が自殺を考えていた時期がある人は、その時分の記憶を苦々しさや不安と共に思い返すはずである。そして、実際に家族や友人に自殺してしまい、心に傷を抱えながら生きている人は多々いる。 また、自殺は個人的にだけでなく社会的にも重大な問題と見なされている。自殺者が多い社会はそうで

    「なぜ私たちは自殺をしてはならないのか?」、哲学・思想の歴史から導かれる「意外な答え」(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz
    castle
    castle 2022/10/13
    「自殺は「伝染」する」「自由を放棄する自由は認められない(ミル)」「「自分が孤独であるという感覚」は人を自殺に導く主な要因だ(心理学者ジョイナー)」「破局視(未来は悪くなるに決まっていると思い込む)」
  • 3ToheiLog: 「珈琲時間」読了

    「珈琲時間」読了 「アンダーカレント」で、一部のマンガオタクから注目を集めた豊田徹也さん。二作目は短編集。 背筋がむずがゆくなるような傑作だった。・・・といって、煽り立てると9割5分の人にとっては期待はずれのミスリードになってしまうかもしれない。 「フランス映画」テイストが好きな人には、おススメ。 基的には 「働きたくないでござる。絶対に働きたくないでござる」 というような意味を、フランス流に上品に描いたマンガだ。 人は死ぬ。でも珈琲がある 別に珈琲の薀蓄を語る知識でも、珈琲の作り方を競うバトルでもない。なんとなく、生活に珈琲がある。なんとなく人生に珈琲がある。そんなマンガ 僕は別に珈琲マニアでも珈琲中毒でもないが、なんとなくわかる。 ハードボイルドの質が酒とタバコの薀蓄話ではないように、このも珈琲ではない。でも、ハードボイルドが酒とタバコの薀蓄話が必要とするように、この

    castle
    castle 2010/02/01
    「(豊田徹也の本は)一言で言うと、死にたがり屋に向いている本だ。「人がいつ死んでしまうかわからない」と正直に感じる人は、大抵どこか壊れている」「(普通の世界は)世界の虚無を隠蔽する陽気なお祭り騒ぎだ」
  • 平坂読@変人のサラダボウル④12月20日発売 on Twitter: "個人的には、まず生き残らなければ何も言えない以上、生きるためなら誇りや信念を捨てることもやむなしとする考え。しかし同時に、「誇りや信念を貫くためなら死も恐れぬ!」として実際に散っていった者をかっこよく思う自分もいる。"

    castle
    castle 2009/10/29
    「個人的には、まず生き残らなければ何も言えない以上、生きる為なら誇りや信念を捨てることもやむなしとする考え。同時に「誇りや信念を貫くためなら死も恐れぬ」として散っていった者をかっこよく思う自分もいる」
  • アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

    アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも[2]。 生涯[編集] 幼少時代[編集] 少年時代のショーペンハウアー。 アルトゥール・ショーペンハウアーは1788年、富裕な商人であった父ハインリヒと、名門トロジーネル家の出身であった母ヨハンナ・ショーペンハウアーの長男としてダンツィヒに生まれる[3]。 1793年(アルトゥール5歳)、ダンツィヒがプロイセンに併合された際に一家はハンブルクへ移住、妹アデーレが生まれた1797年(9歳)には当時の国際語であったフランス語習得のためルアーヴルの貿易商グレゴアール・ド

    アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia
    castle
    castle 2009/01/12
    「世界は私の表象であり、世界の本質は生きんとする盲目の意志である」「いかなる客観であっても主観による制約を受けている」「あらゆる表象、即ちあらゆる客観は現象である。だがひとり意志のみは物自体である」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    一泊二日、仙台から福島浜通りをひたすら南へ。はらこ飯をしずかにべる。 昭和8年、津波に御用心 はらこ飯は冷たいほうがうまい説 摩尼車は時をかけるようにして回る 南相馬の珈琲亭いこいで休憩 津波の被害にあった請戸小学校を見学する 東日大震災・原子力災害伝承館 南相馬の寿司屋で塩釜港のひがしものマグロをべる ふたたび喫茶店で…

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    castle
    castle 2008/09/09
    「「生きていることに意味などない」というテーマがある」「自分が今ここにいるということを価値ある意味だ、ということにして認識の出発点とすれば、何かに求めずともそこに意味は生じる」
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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    castle 2008/06/22
    「「オフ会」というのも、ネット上で構築されたヴァーチャルな人格同士の出会いのこと」「ネット上で始まった関係がリアルな身体の登場を切実に必要とする場合というのは、「出会い系サイト」と「自殺系サイト」」
  • 自殺をちょっとでも考えている人へのメンタルヘルス - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    「生きるのは大変だ」 「生きているのは面倒くさい」 「いっそ死んでしまった方がラクだ」 ウツになるとこういう精神状態になっていきます。なにもかもわずらわしい。そこから解放されたい。自由になりたい。全身を鎖で縛られたかのような感覚。もがいても前に進まない感覚。いや、深刻になると何かに足をつかまれ、引きずられていく、後退していく感覚。あるいは鎖がイバラとなり、全身がチクチクと刺される感覚になることすらあるようです。 そういう方には発想の転換をオススメしています。 生きようとするな! 「生きる」と思わなくても、ほっといても人間は生きれるもんです。意思も行動も必要ありません。必要なこと、必要なモノは何もありません。ただ、そこに人間がいるだけでいい。存在するだけでいいのです。それ以上でも以下でもありません。 あなたは今、現在、生きようと考えてますか? 考えてなくても生きているんじゃないですか? 特別

    自殺をちょっとでも考えている人へのメンタルヘルス - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    castle
    castle 2008/05/28
    「ほっといたら心臓が止まる。生きられない。これを心臓の病と言います。そして、ほっといたら死のう死のうと考える。生きられない。これを心の病と言います。病気とは何かの助けがないと生きられない状態なのです」
  • [書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル): 極東ブログ

    アーノルド・ミンデルの思索と実践が現代社会に重要な意味を持つ、あるいはさらに持ち続ける可能性があるのは、書「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)によるものだろう。書、あるいはコーマワークが存在しなければ、ミンデルは奇矯な思索者・精神医学者ということで終わるだろう。もっとも類似の問題は、書のはしがきでミンデル人が言及しているように、キュブラー・ロスにも関連している。 書、あるいはコーマワークとはなにか。これは邦訳の表題が適切で「昏睡状態の人と対話する」ことであり、その手法に言及したものだ。アマゾンの紹介が、ある意味で、簡素にまとまとまっているので引用する。 著者のミンデル氏は、昏睡状態の人と対話するという信じられないことを可能にした。忍耐強い働きかけを行っていくと、クライアントは筋肉の一部の動きや言葉の応答によって、死にたいか、生きたいかの意思表示や未解

    castle
    castle 2008/02/08
    「私たちはみなこの昏睡(コーマ)を経て死にいたるし、おそらく大半の人が愛する人がコーマに陥ってしまう状態に直面する。その時の苦悩のなにかにつながっている」「昏睡者、それは死者ではない。生きているのだ」
  • 知らなかった・・・須原一秀氏の自殺 - akehyonの日記

    須原一秀氏は、知る人ぞ知る思想家・哲学者で、私も『超越錯覚』『弱腰矯正読』『現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組』など、彼のは愛読していた。近年、消息を聞かないと思ったら、昨年4月に自殺していたそうである。なおかつ、自殺を肯定する遺稿を残して・・・。ショックだ。氏は1940年生まれだから、若者の夭折とは意味が違うけれど、平均寿命が80歳程度まで伸びた現在、円熟した時間を自ら棄てたに等しい。須原氏は現代という時代を肯定的に捉える人であったから、なおさら衝撃は大きい。急に現代に否定的な考え方になったのか、それとも自殺すらも肯定することにしたのか、こうしたことは発売されたばかりという氏の遺稿『自死という生き方』(双葉社ISBN:9784575299984)を読まなければ分からないが。ちなみに、一日だけだが、氏はこのはてなダイアリーにも、id:KANTANで日記を残している。 『自死とい

    知らなかった・・・須原一秀氏の自殺 - akehyonの日記
    castle
    castle 2008/01/28
    「06年4月、自死を遂げるが、そこには一冊分の完成原稿が残されていた。自殺の意味と理由、方法、哲学的背景、そして決行日に向けての心理分析と行動録…淡々と描かれる「積極的な死の受容」の記録がここに」
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