北朝鮮からの留学生に町なかでばったり出会い、しばしお喋りした楽しい思い出…今でも鮮明に蘇る。それが1978年のプラハだというのに。北朝鮮のことが話題になるたび「あの人どうしたかしらね」と記憶を新たにするため古びることはないのだ。心の中の彼は「愛の不時着」の俳優さんと同じくらい、カッコいい好青年のままである。 旧チェコスロバキアは学生時代、1977年から何度も訪れていて、ポーランドの民主化運動「連帯」の始まりを聞いたのも1980年のプラハだと前に書いた。過去記事参照:世界中がレーニン造船所にくぎ付けだった頃 「連帯」 北の学生と会った話いつか書くねと林さんに約束した。書く書く詐欺になるのは嫌なので今日やっておこう。(他にもいろんな人に軽く約束してしまった事柄、ゴメン😓ちゃんとやります) 若い人たちには想像もつかないだろう。冷戦時代の子である私の頭の中で、世界地図はざっくり東か西に分かれてい
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