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20201006追記 今ホッテントリの「非モテ女なんて存在しない、なめるな」への反論を書きました https://anond.hatelabo.jp/20201006103058 追記 いくつか指摘があった通り、この文章は再投稿です。 どうして再投稿までしたかと言うと、現実世界でずっとずっといないものとして扱われてきたので、せめてネットでは存在を認知されたかったからだ。 最下層の女にとって、恋人ができない・愛されないことは当然すぎてわざわざ書くようなことじゃない。だからネットには、わざわざ書くようなオチ(そんな私にも恋人が)がつくような体験談しか上がらない。「ブスは愛されない!男性が中身を見ないのはおかしい!」なんて主張は「コアラはユーカリしか食わない!竹を食わないなんて非常識!」くらい支離滅裂だ。コアラはそういう生き物なので、変わらないし変えようがない。一部の非モテ男性が、モテないことに
(追記。自分の体験談も書いたので、是非読んでみてほしい。) http://anond.hatelabo.jp/20130910182250 結婚相手を選ぶ基準は、信用できる人間かどうかだと思っている。 でもそれを基準にしている人が少ないことに最近気がついた。 外見の好みや、一緒にいて楽しいかどうかや、話題が合うかどうかなど、選ぶ基準には色々あるが、その前に、その人が信用できるかどうかでフィルターをかけてはどうか。 信用できるかの判断は、 自分に真剣に向き合ってくれるか。自分の話を腰を据えて聞いてくれるか。自分の素の姿を受け入れてくれるか。自分の抱える困難な問題を、一緒になって考えてくれるか。解決のために協力してくれるか。もちろん、相手に自分を信用してもらうことも必須だ。ギブアンドテイク。だから、 その人がどんな状況になっても、自分はその人に真剣に向き合えると思えるかその人の素の姿を知っても
ある米大日本人科学者の神経科学的世界の考察 第15話 1. 勇敢な女性被害者たちが社会全体を変貌させたアメリカでミートゥー運動が始まってからもうしばらく経ちました。 無力のはずだった無数の女性たちが虐待やハラスメントの加害者たちに勇敢に立ち向かい、あっという間に多くの男性権力者たちが表舞台から転げ落ちていきました。 SNSなどで過去の虐待を次々と打ち明けていった女性たち自身でさえ、アメリカ社会がシステムレベルの虐待と闘う女性たちにいっぺんに味方することになったことに半ば半信半疑といった雰囲気がありました。 アメリカの女性たちが振り絞った渾身の勇気はみるみるうちに無数の女性被害者に伝播し、気が付けば社会全体の女性に対する認識、扱いが根本から変貌していました。 それは、メディアでも人々の日常生活レベルでも「ミートゥー運動後」のアメリカはそれ以前と比べて「別の国になった」と言われるほどに変貌した
ここには本来書くべきテーマがあるのですが(GCF的なこと)、ちょっと余りにも酷いものを見かけてしまったので、今回は番外編として書きます。 藤原ちからさん(アーティスト、批評家、編集者)という方が「演劇最強論-ing 徳永京子&藤原ちから×ローソンチケットがお届けする小劇場応援サイト」(ローソンエンタテイメント)に掲載した特集記事「藤原ちからの2019プレイバック」のある一節が、トランスジェンダーの鈴木みのりさん(ライター、文筆家)の目に止まりました。 この特集記事自体は、藤原さんが2019年の演劇、アートパフォーマンスを総括するもので、2万7千字余りある壮大なスペクタル記事です。私も人の事は言えませんが、長い!もの凄く長い! その一節は、トランスジェンダーについて書かれたものですが、およそ長文であることを考えると、殆ど見過ごされてしまいそうな一文です。 しかも断っておくと、本編の末尾にある
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、人々の不安は、購買活動にも影響を与えている。そうした中、Twitterで「コロナよりも怖いのは人間だった」と悲痛な叫びをあげたドラッグストアで働く女性がいた。体験とともに思いを投稿すると、同じく店員であり、同様の境遇にあるというユーザーたちから「共感しかない」「まさにその状況」との声があがった。彼女は、何を語り、どんな体験をしているのか。【BuzzFeed Japan / 瀬谷 健介】 「マスクの次は、トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなる」「製造元が中国」 こんな根拠のない情報が、SNSやメッセージアプリを中心に流され、ドラッグストアやスーパーの店舗に人々が殺到。トイレットペーパーやティッシュペーパーだけでなく、生理用品や乳幼児用の紙オムツまでも、日々、売り切れる店舗が続出する事態となっている。 この状況で、Twitterで声をあげたのは神奈
寿太郎みかん www.at-s.com ラブライブ!サンシャインのパネルの騒動についての、僕の考え。 僕の立ち位置について まず最初に行っておきたいのは、僕の立ち位置です。なぜそれを言っておきたいかといえば、この騒動は、それぞれがどういう立ち位置から意見をいうかで、ぜんぜん違う意見になるということ、むしろ、立場が違えば意見も違うものになって当然なのに、多くの人が「自分の立場からの意見が唯一無二の正しい意見のはずだ」と強く思い込んでいて、そのせいで対立が激化してしまっているように見えてならないからです。 そういう対立の激化から距離を置くためにも、僕は、僕の立ち位置を明確にし、あくまでそういう立ち位置からの意見を述べたいと思うのです。 僕は、大学で4年・大学院で2年、社会学というものを学び、その中でジェンダー学やフェミニズム、また差別や社会的排除といった問題について、それを専門としてきたわけで
現代思想3月臨時増刊号がリリースされました。 前回、Twitter上での千田さんの炎上について書きましたが、提出すると仰った「論文」がこれ程まで見事に予想通りの結果だったこと、本当に驚いています。 「女」の境界線を引きなおす――「ターフ」をめぐる対立を超えて / 千田有紀 案の定、千田さんの記事は期待を裏切らないインパクトで炎上し、既に当事者がブログで取り上げています。 千田さんの文章は、一見、両立を保つような、マイルドなテイストで書かれているので、人によってはついうっかり共感しそうな危うさがありますが、「いま、日本のTwitterでは「ターフ戦争」とでもいうべき事態が起こっている」という最初の一節と「それは「ターフ」を見つけ出して、制裁を加えることではなく、問題の構造を見据えた私たちの社会的合意の達成によってなされるものであると信じている」で結ばれる最後の一節を繋げれば、彼女の動機、目的
先日、「 #私たちのフェミニズム をみんなで語ろう」という連載の第一回として、「ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?」というインタビューが公開され、さっそく炎上しています。 火をつけて回っているのは例によって「フェミニスト」を名乗り、「ツイフェミ」と呼ばれている一群の人たちであるように見えます。いったいかれら、彼女たちは何が不満なのでしょうか? それらの批判意見をひと通り見てみたのですが、そこにはおどろくべき光景がひろがっていました。その批判内容の是非以前に、そもそも文章の意味を理解できていないのです。 このインタビューはきわめて易しい日本語でやり取りされており、小学校高学年くらいの読解力があれば十分に理解できると思うのですが、それにもかかわらず、多くの人がかってに頭のなかでパラフレーズして読み、結果として誤読しています。 いったいこ
宇崎ちゃんポスターについて、萌コンテンツ好きなオタク女の立場での気持ちの話と、考察にもならない仮定の話と妄言。 まずこの記事も、そもそもお気持ちの表明でしかなく、萌オタクを代表する気もなければ胸のでかい女を代表する気もないことを前提として伝えておきます。また、あの絵を見て傷ついた同じような体型を持つ女性の気持ちを否定する気はないし。そもそも気持ちは自由だし。ただこういう考えの人間もいることを誰かに伝えたかったのと自分のやり場のない気持ちを整理をしたかったので書いてみました。 まず、立場としては萌コンテンツが好きなオタクで、そして、下着屋店舗を駆けずり回ってサイズを探してもなかなか自分のサイズのブラがないタイプのデカ乳女である。レイプなどの大ごとはなかったものの、痴漢やキャットコール、追いかけやつきまとい、セクハラなどの性的被害は一通り経験してきた側の人間だ。 今回の騒動の初見としては、あー
『宇崎ちゃんは遊びたい』献血コラボの件。 第一弾と第二弾の何が違うのかわからない人、の中で本心から何が変わったのか知りたい人に向けて書いた。 ①フェミVSオタク、ではないという話 本題に入る前の前提として。 【フェミニスト=性嫌悪=女=前回のポスター批判派=表現規制派=アンチオタク=ミサンドリスト=左翼】 ↑ 対立 ↓ 【オタク=スケベ=男=前回のポスター肯定派=表現の自由を重視派=アンチフェミ=インセル=ミソジニスト=右翼】 ・・・ではない。そんな構図はない。 もちろん重なる部分が無いわけではないが、しかしそれぞれの属性をイコールで結びつけることは単純に誤りであり、このような大いなる対立軸も存在しない。 ここで「あたりめーだろ」と思った人は後段まで飛ばしていい。だが「え、違うの?」という人はよく読んでほしい。 そもそも人は一人一人異なる価値観、感覚、考えを持っている。ヒトが二人いれば、何
説教したがらない男の皆さん、安心してください 「マンスプレイニング」(mansplaining)という言葉をご存じだろうか。「マン」(man、「男性」)+「エクスプレイン」(explain、「説明する」) を縮めて動詞「マンスプレイン」(mansplain)、その動名詞が「マンスプレイニング」だ。知っている方も多いと思うが、一応オクスフォード英語辞典で定義を確認してみよう。 男性について使う言葉。(通常は女性に話しかけている時に)必要もないのに、横柄だったり、相手を見下していたりするようなそぶりでものごとを説明すること。とりわけ保護者ぶっていたり、男性優越主義的な態度を示していたりすると思われるような口ぶりの時に使う。(拙訳) つまり、相手の女性が既に知っていたり、説明してもらう必要がないと思っていたりするのに、男性が偉そうに説明をするのが「マンスプレイニング」だ。とくに女性の健康とか、性
ピッピちゃんが消えた一番の原因はTwitterフェミニズム界隈の全体主義です。 私は幾度となく女性差別を受けてきました。親から「女の子は料理が作れないとお嫁に行けないよ」と言われ、上級生には学校内で痴漢をされ、車に乗った人から「おちんちん好き?」といきなり声をかけられ、クラスのなかで「付き合える女子ランキング」を作られ、男子には敬語を使うのに女子である私には敬語を使ってもらえなかったり。私が女性差別と感じた行動は数えきれないほどあります。 そんなときに私を救ってくれたのがフェミニズムでした。私があのような差別を受けたのは「自分のせい」だと思っていました。自分が料理つくれないから悪い。自分が痴漢やめてと言えないから悪い。しかし、フェミニズムは「あなたのせいではない、女性差別のせいであなたは苦しんでいるんだ」と教えてくれました。 Twitterでフェミニズムをはじめてから9ヶ月たった今、私はフ
性暴力や性差別をなくしたいと思って、大学生の頃からいろんな場に足を運んできた。 当時、トランス男性の私を「頭の中までは”あっち”じゃないから」と冗談めかして飲み会のときに仲間に入れた年配の女性がいた。飲み会には知り合いがおらずアウェーだったし、彼女のセリフは場を和ませたので助かった。しかし、10年ほど経過した今でもこのやりとりを覚えているのは”あっち”とはどこだったのか釈然としなかったからだろう。 「男たち」の振る舞いは確かにひどかった。性暴力の電話相談ボランティアをしていた当時、出社すると留守電には脅迫めいた男性の声での恨みつらみが録音されていて「あーあーまたか」と同僚がメモをとる。 自分がLGBTコミュニティで活動していく中でも、ゲイ男性が支配的に振る舞おうとしたり、トランス男性、さらにはレズビアンの一部も女性の外見をあれこれジャッジし「あれはいい女」「ダメな女」みたいに話すのにウンザ
TLでトランス関連漫画が話題になっているので、読んでみた感想や、ツイッター上で私が見た感想に対して、ちょいちょい引用したり反論したりしてみます。 該当漫画はこちら。 作者の遠田おとさんはいわゆる新人作家さん(原作つきのスピンオフ本を三冊出していますが)で、今作も一話読み切り形式。あらすじ等々は省きます(無料なので読んでいただければいいので)。 余談ですが作者さんについて調べていたら、1年ぶりくらいにツイッターを更新していました。 トランスジェンダー周りの描写についてまず、この手の漫画での鬼門というか、トランスジェンダー周りの描写について。 トランス男性(FtM。今作品の劇中では、千秋は自分の事を「男」としか呼んでいません。念のため)を描いた作品では、少し古い作品として『G.I.D』(庄司陽子、2006年)があるのですが、本誌掲載時にはかなりの間違いや不味い描写があり、単行本ではかなりの個所
新年明けましておめことうございます。 アイルランドに住むわたしも、今年はお餅も手に入れ、正月らしさをマン喫しながら過ごしています。 さて、新しい年が始まろうとする大晦日の夜でも、twitterではわたしのつぶやきに物申したい人で賑わっておりました。話題は「日本の治安の良さ」についてです。 日本では、萌え絵アニメポスターが街中至るところにあり、いかがわしい表紙の雑誌がコンビニで平気で売られ、フェミニストは「女性や子供への性的搾取だ!環境型セクハラだ!」と叫び、海外メディアからは変態ロリコン大国とバカにされがちです。最近も、2019年の世界のジェンダーギャップ指数は121位と最低ランクだったと嘆く声が上がりました。 わたしも日本に住んでいた時は、日本って民度低いな、欧米はその点進んでいて良いなと思っておりました。 ところが、欧州に住み子育てしてみて、わたしは気づいたのです。 日本って、これだけ
先日、小宮友根さんが表現規制についてエッセイを書いていた。それに対する評論はアンコリさんがやっているが、基本的には「累積的な抑圧経験」によってそれを想起させる表現への対抗を正当化していてる。 私はこれを読んでいた際、小宮さんの議論に則ったうえでメンズリブの議論をする、ということが可能であることがどうしても気になった。男だって……という論法はwhataboutismだと思うので、前回評論である「表現規制論と女性の自発的モノ化」ではあえてやっていなかったが、彼のエッセイを読んでいた際、whataboutism以上のものであるのではないか――ということが気になったのである。 男性に対する
尊敬する父親に隠し事をしてプリキュアになったキュアセレーネ 「実は、わたしプリキュアなの」 娘や息子にそう告白されたとき、親としてどう振る舞うべきなのでしょうか? 悩みますよね。 仮にあなたにそんな日が来たときのため、子どもに「実は、わたしはプリキュアなの」と告白されたときどうするべきなのかを調べてみました。いろいろ調べてみた結果、何とその答えは「内閣府」にあったのです。 第40話。ララが宇宙人であることがクラスメイトにバレてしまう kasumi プロフィール プリキュア好きの会社員。2児の父。視聴率などさまざまなデータからプリキュアを考察する「プリキュアの数字ブログ」を執筆中。2016年4月1日に公開した記事「娘が、プリキュアに追いついた日」は、プリキュアを通じた父娘のやりとりが多くの人の感動を呼び、多数のネットメディアに取り上げられた。 これまでのプリキュア連載一覧 第40話はスタプリ
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