pha 小さい頃から何でも「0か1か」で考えてしまって、「程度問題」というものがうまく理解できないところがあった。 例えば傘について。小学生くらいの頃、雨が降っているときは傘をさせ、とみんな言うけれど、傘をさしてもズボンの裾や鞄など体の一部が濡れることがあるのが納得できなかった。 「雨」という問題に対して自分は「傘をさす」という一般的社会的歴史的に正しいとされている解決法を取っているはずだ。それでも濡れる部分があるというのは何かおかしいんじゃないか。 これがゲームだったらこんなことはない。ゲームの中で自分が毒の状態になってしまったら、毒消し草を飲めば完璧完全に治って何も問題がなくなることになっている。目が見えなくなったら目薬を挿せば治るし、死んでしまったら蘇生の呪文を唱えるとよみがえる。それに比べてどうして現実はこんなにできが悪いのだろうか。この現実はクソゲーなんだろうか。 この