小沢健二のコンサートに来たという岡崎京子の話から、「リバーズ・エッジ」内で描かれた”腐女子”あるいは”オタク”についてのやりとりです。ノイズを減らすためにリストにはそれらの発言をいれていませんが、基本的に発言している人は岡崎さんのファンがほとんどです。ただ腐女子描写についてひどかったと語っているだけですので、誤解のなきよう。
× 306 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 81 21 46 シェア 表題作「森」は、「ヘルタースケルター」の連載終了直後から全3話の予定でスタートしたが、不慮の事故によって1話で中断している作品。同書では、フィール・ヤング1996年6月号(祥伝社)に掲載された「森」第1話に加え、雑誌未掲載の第2話カラー扉や予告カット8点も公開されている。 また単行本初収録となる短編7編のほか、1990年に発売された「ショコラな気持ち」に左開きで掲載されている「毎日がバレンタインだったら」などの短編3編を、執筆時の意図であったと思われる右開きに戻して収録。初収録となるカットも多数掲載されている。また巻末には、美術評論家の椹木野衣による解説を収録。装丁は祖父江慎+鯉沼恵一(コズフィッシュ)が手がけた。 「岡崎京子未刊作品集 森」初出一覧 「森
wowowでフランソワ・トリュフォー「アデルの恋の物語」(1975)をやっていたので久々に見る。それと同時に私の映画評の原点でもある岡崎京子の「アデルの恋の物語」評の切り抜きを見つけたのでここに書きおこす。 -------------------------- 「アデルの恋の物語」は一見、一人の男を狂熱的に愛する女の恋愛の特権的な神話として見える。実際、アデルは、たった一人の男を、拒まれても拒まれても追いかけ愛し続けるのだし、そのことで気が狂ってしまう。 私達女性は生まれてからたっぷりと紋切り型の恋愛至上主義をすりこまれているので、ついうっかり「アデルのように愛したい」とか「アデルのように恋に狂いたい」とか思ってしまう。愛や恋愛に生き、死ぬことへのロマンチックな強迫感。まるで愛し愛されないと人間失格でもあるかのような圧迫感。 私は愛されている/だから認められている 私は愛されてない/だから
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