2010.03.04 NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボー
巨人の清武球団代表は4日、くも膜下出血で倒れて入院した木村拓コーチの容体について「いい方向にはいっていない。悪化の一途をたどっている。非常に厳しい」と説明した。 球場では巨人の応援団が木村拓コーチの現役時代の応援歌を演奏し「頑張れ頑張れ、拓也」とエールを送る。同代表は「ファンの気持ちに応えてほしいが、奇跡を待って闘っているのが現状。広島球団のコーチも病院を訪れているが、わたしたちも本人に会うことはできない。奥さんもご両親も非常にお疲れで、見ていて痛々しい」と話した。
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