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CMJKに関するchangko-hanのブックマーク (4)

  • これはきつかった!という作業は? - cmjkインタビュー

    映画「マクロス・プラス」の挿入歌「Information High」というのが やはりこれまでで一番「きつかった」というより作るの無理なんじゃないかな? と思った作業でした。 人間の手によって作られたヴァーチャロイド・シンガーのシャロン・アップルが 意思を持ち知性を獲得し、その声と歌と曲を使って人民を洗脳し、 ついにはマザーコンピューターまでハッキングして、何もかもを意のままにしようと するという話なんですが、まあ、初音ミクの元祖的な感じというか。 監督からのオーダーは 「1曲演奏しただけで10万人を洗脳してしまう曲」 というものだったんですが・・・はぁ!?って感じですよね まずは2曲ボツになりました ちなみに2曲目にボツになったのは後にConfusionの"JOY"という曲になり 自分の曲として復活することとなります http://www.nicovideo.j

    changko-han
    changko-han 2011/09/17
    マクロスプラスの、あの名曲の誕生秘話。Information Highは菅野よう子氏作曲じゃありませんよ!(大事なことなので二回言いました)
  • ビクターのコンピレーション「DANCE 2 NOISE」にCutemenが参加するのは、 どんなきっかけでしたか? - cmjkインタビュー

    changko-han
    changko-han 2011/09/17
    ggrksと言いながら親切にぐぐるJKさんマジ男前
  • では、電気グルーヴを脱退した経緯を教えてください。 - cmjkインタビュー

    そもそも後輩に「長いこと彼女がいないようですが、原因はなんだと思いますか?」 とジョーク&嫌がらせで聞いてみたいばかりに軽い気持ちで登録したザ・インタビューズ。 せっかくですので、電気グルーヴ脱退から20年経った今だからこそ言える話を、 どこにも言ってなかった当の当の話を書こうと思います。 1stアルバム「フラッシュ・パパ」レコーディングの為マンチェスターに赴いた 卓球と瀧と僕。 クリエイションから自身の作品を出してたHYPNOTONEのトニー・マーティンをはじめ マンチェスターを代表する気鋭のミュージシャンやエンジニアとの作業。 当時Stone roses、現Primal screamのマニにクラブに連れていってもらったり、 憧れのハシエンダでは隣でTHE FALLのマーク・E・スミスが踊ってたり・・・ 毎日が驚きと感動の連続で、当時22歳くらいだった僕らには十二

    changko-han
    changko-han 2011/09/17
    「全裸の卓球・瀧の前で『こいつらとはやっていけない』発言」の真実
  • 電気グルーヴに誘われた経緯を教えて下さい。 - cmjkインタビュー

    メンテナンスのお知らせ:日(2011-9-12)の 15:00 - 16:00 にシステム増強のため、メンテナンスを実施いたします。(詳しくはこちら) 元々僕は仙台の高校生時代The CUREとEcho & the bunnymenが好きで そういったギターバンドをやっていました。バンド名はThe Cutemenで、 由来もCure+BunnymenでCuremenじゃあんまりなんで一文字変えてCutemenという 安直なものだったんですが、地元ではけっこうな動員を誇り、自主盤も好評だったので 調子に乗ってバンド全員で上京したんです。僕が19歳の春のことでした。 しかし東京は甘くなかった。どこのライブハウスの昼の部のオーディションでも 言われることはいつも同じ。「洋楽っぽすぎる」 洋楽っぽくて何が悪いんだ!? 派手な衣装着て派手なメイクして、歌謡曲みたいなメロディーとアレ

    changko-han
    changko-han 2011/09/12
    「4人目の男」の電気加入エピソード。JKヲタ約20年にして知らなかった…!
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