なんか勉強系の話題が流行っているようだ。 何かにつけて、後出しの自分定義によって我田引水をはかるみっともないアルファブロガー(笑)の話はおいておいて、以下に引用するエントリーは少し興味深い。 たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。 でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。 この非対称性は、なんなのだろう? どうにも不思議だ。 なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう? ぽりあんてな 確かに、小学校や中学校において、「お勉強」の成績がいいことについての評価が、走る速さなどの身体的な能力に対するそれと比べて、相対的に低いということについて、私にも思い当たる節はある。私は意外といじめられたことはまったくないのだが、成