最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。 ところで、大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22)年。「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890(明治23)年10月30日のことです。教育方針について長官会議で政府にまとめてほしいと言われたなど、経過はいろいろありますが、天皇の神格化の一環であったことは間違いないでしょう。ところがよくわからない為、表題写真のように、さまざまな時代にいろんな解釈本が出されています。下写真が、教育勅語全文です。 「教育勅語・戊申詔書義解」(明治44年・長野県南佐久郡校長会編)より 教育勅語は、大きく
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