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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (21)

  • 「みんな好きずきやればいいじゃない」というのにも責任はあるよ - 焚書官の日常

    書いてたものを放流。 「あなたはいつか趣味の世界からいなくなる、だから趣味の世界を守るために後進の育成をしましょう」という趣旨のツイートに、半分納得、半分疑問符。 Pro/ConのConから書く。<趣味の世界>というのは、<クラスタ>みたいなもので、たまたま線を引いて切り取ったらそこにあった、というようなものだろう。そして、それがあることにしたい人が、その世界を所与のものとして、なくなってはいけないものとして、語りたがるのだろう。自分はことさらに「ある」と思い込もうとはしていないので、守ろう、と言われても「何を?」というのが正直な感覚。「後進の育成って? これ部活か何かだっけ?」という感じ。 でも、そういった違和感から単純に「みんな思い思いに好きなことやってれば、それでいいのでは?」という見解を引き出すことには、同意しない。 正確に言えば、「みんな好きずき」が「好きへの無関心」を表すことに

    「みんな好きずきやればいいじゃない」というのにも責任はあるよ - 焚書官の日常
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    comnnocom 2011/11/30
  • トゥルー・グリット - 焚書官の日常

    コーエン兄弟、ジェフ・ブリッジズ、マット・デイモン、ジョシュ・ブローリン。はいはいそんなてんこ盛りにされなくても観ます観ます、ということで、郊外のシネコンまで遠出した。 「開拓時代の終わり」を意識させる作り。主人公のマティは、年老いた連邦保安官コグバーン(ジェフ・ブリッジズ)が証人審問を受けるところで、はじめてその顔を見るのだが、しゃべり方はフガフガしてるし、弁護士に対する切り返しも「現代的」でない。昔気質のコグバーンにとっては「襲われそうになったから撃ったんだよ文句あっか」というだけの話なのに、延々と被告人弁護士の小芝居を見せられる。確かに開拓時代は凄腕だったのかも知れないが、法が支配する時代にはとりのこされつつある男。そのことは、コグバーンの晩年が「ウェスタンショー」というもはや過去の遺物を再生するフィクションと共にあったことでも、示される。 マティは「正しい心と強い意志」の持ち主(「

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    comnnocom 2011/05/28
  • わたしはなぜ書店に行くのか - 焚書官の日常

    もっぱらAmazonでしかを買わない人を大きな書店に連れて行ったら衝撃を受けていた、という話(創作? 実話? どっちでもいいけど)を読んだ。 ブックマークコメントも読んだ。 一覧性が高いとかレコメンデーションがない、といったことが、べつだんリアル書店の強み/弱みとは思えない。それAmazonから逆算して反対の性質を挙げてるだけだろ。 わたしが書店に行っておどろくのは、私が買わないが、私が欲求しているものとはべつに、あらかじめ「もの」の形をとってそこに「ある」ということだ。いうなれば、それらは他人の欲求である。 Amazonから、じぶんの興味やblogのレコメンドを辿って、のレコードが抽出され、「買う」ボタンを押して、という実体が自宅に届けられて、自分の部屋の棚にそれが並ぶ、というシーケンスの中には、他人の欲求が入る余地がない。 あるいは、わたしが触れ、そのとき買わないを、このあ

    わたしはなぜ書店に行くのか - 焚書官の日常
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    comnnocom 2008/02/27
    「その便意は他人の欲求に晒される高揚感から生まれるのだ、とか…」すげーうなずきを得た。
  • 「まじめにやれ」 - 焚書官の日常

    http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194554474 で、はてブコメントに言及をもらったので、関連したことを書く。 anond.hatelabo.jpに虚構を書いて遊ぶと、皆が音を書きあっていた空気を壊してしまってよろしくない、という意見がある。 そうだな、とは思うが、それで壊れてしまうようなものなら、仕方がないんじゃないか、とも思う。壊れる部分は、もとから無根拠なバブルだったのでは。 虚構だって音だって、まじめに書いている時点でおなじリングにあがっているのだから、そこで共存すればいいと思うのだ。 もしも自分が ここはみんなが音を書きに来てるところなんだよ、まじめにやれ と言われたら、私はこう返す。 たとえばあなたが、自分の不遇をanondに書いている人だとして、あなたが当に不遇かどうかは、あなたの書いたも

    「まじめにやれ」 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2007/11/10
    結局こう言うしかないのだ。匿名だろうが顕名だろうが実名だろうが。
  • Slice - 焚書官の日常

    サークルの集まり。普段が学ばなすぎなので、学ぶところが多い。 むしろ、何歳からでも人は学べるんだ、と考えたいんだけど。 その「学べる」を形にするには、絶対に、他人に対して怒るな(自分に対しても)、ってことかなぁ。 「この人同じことばっかり書いてるなぁ」というときは、その人の語り口(人格ではなくて…)が自分にとっての障壁になっていると考えてみる。「いちいち、俺のかんにさわるような書き方だぁ」ではなく「おっ、はじまった…」と受け止められればその人を好きになれる。 その文が人そのものなのではなく、その文を成り立たせている人を想像する…あれ、なんか言っていることが違うな以前と。 追記 ブクマコメント。 ブロガー萌え。自分にとってのライフハックで収めておくのであれば有効と思う。 あぁそうそう。「なんか言っていることが違うな以前と」というのはそういう意味です。ありがとうございます。外向きには「日記人格

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    comnnocom 2007/09/30
    ブロガー萌え。自分にとってのライフハックで収めておくのであれば有効と思う。
  • ディスクレイマー - 焚書官の日常

    「これは私のメモ書きであり放言を含みます」 「これは日記でありブログではありません」 「これはブログであり議論の場ではありません」 書いて眺めてみるが、どれも「芝生に入るべからず」という看板程度の効力を発揮するものであり、一定以上のコメント炎上回避効果は見込めないのかも知れない。 話しているうちに人格的な部分で接点ができたと思えば態度が軟化するし、そうでなければ頑なになる。ぶっちゃけ日記間でフニフニコメントしたりトラックバックしているものの多くは議論以前の不良同士の抗争みたいなものではないかと思われる。議論になるのであればそれなりの議論の作法が必要だが、たいがいは書いた人は書く時点で自分の書いていることが限定的には正しいと思っているので開いた議論になりようがない。それ以前の人格レイヤで「おれ、殴り合っているうちにあんたのこと好きになっちゃったんだよね…」みたいなものを忍び込ませて対立をうま

    ディスクレイマー - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/12/20
    「揚げ足を取るときはこっそり忍び寄ってテーブルクロスを抜き取るときのように素早く華麗に、だ」あまりの華麗さに取られた方も拍手してしまうような、そんなのをひとつ。
  • 「かまいたちの夜 2」を妄想で擁護する(β) - 焚書官の日常

    書き出すとまとまらないので、今日の勢いと概念を使ってざっと書いておく。 プレイヤー(読者)の状態の定義 : ステージ1:ジャンルに飽きてない。ジャンル内の諸概念が面白い ステージ2:ジャンルに飽きてきたが、そのぶん自分の中に理想の**が生成されている ここで vmchunsoft いわく: 「1」から数年経つのだし、ゲーマーもたいがい謎解きゲームに飽きているだろうから、今更ステージ1のプレイヤー向けに謎解きやシステムが面白いゲームを作っても、楽しんで貰えるかどうかは疑問。それよりもアレなシナリオを沢山読ませて、ステージ2にいる枯れたプレイヤーの「理想のストーリー」に訴えかけるほうが売れるのでは。 と思って作ったら、案外ユーザーが枯れてなくってびっくりしたよ キャラクターとストーリーの整合性ではなくプレイヤーの中のストーリーに訴えかけている、というのは、「妄想篇」から深読みできる。

    「かまいたちの夜 2」を妄想で擁護する(β) - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/07/24
    続編叩きの構造についての一つの見かた。作る側はもうステージ1になんて戻りたくないというか、別のステージ1へ行きたいんだろうなと思う。と1しかやってないおれが言います。一般論。
  • コメントにリプライいたします - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20060123/1138017958 mm2 『バカは新書もちゃんと読めねえんだ、哀れだね。』 (2006/07/01 03:58) 哀れんでいただき恐縮です。自分の頭の悪さ(とくに、を読む能力の低さ)には自分でも困っている次第です。 ところで(答えていただかなくても構いませんが)コメントの内容から (1)mutronix(この日記を書いている私)は馬鹿である (2)馬鹿は新書に書いてあることを理解することができない ということをおっしゃりたいのだと理解しました(2しか書いてないが、暗に1のことを前提としていないと私の日記に書く意味がない)。しかしそれを敢えて書くということはどういうことでしょうか。これについて考えてみました。 x. 不確かなのは、「(1)mutronix(この日記を書いている私)は馬鹿である」という前提の中

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    comnnocom 2006/07/01
  • ひとたび自分をリベラルだということにして - 焚書官の日常

    決めつけや正論に立った踏みにじりをする人を見ると、どんどん憎らしいという感情がわいてくる。不思議なくらいだ。そのような自分の感情に立脚して(動機にして)自分は読み書きすることがある。でもそれは「そういうものだ」と自分を決めたことによって生まれてきた感情だし、その感情を正当化するためにこしらえた論理かも知れないのだった。

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    comnnocom 2006/03/27
  • 日記にかんする日記 - 焚書官の日常

    忙しいわけでもなく、なんとなくオンもオフもない、という状態になってしまうことがたまにあって、そういうときはずっと勉強のとかを読んでいたりするわけですけれども、そうすると日記に書くことがなくなります。いや今日はこれこれのコードを書いてみた、とかEmacsのなんとかが…とか、いやEmacsは使えませんけど、そういうことを書けばいいのかも知れませんけど、別に書くほど重要ではないし、ていどひくいことを書くのも、人が見ているので恥ずかしいです。 そういうときにふっと、人の書いた日記、身辺雑記や感想があるテーマの下にまとまっているけど、ブログとは呼ばないような文章を眺めると、気持ちが落ち着きます。書いている人の精神の張りに出会って自分も緊張します。 私は他人のために情報を洗練して置くだとか、トラックバックを使って議論しましょういつでもどうぞとか、そういう姿勢で日記を書いていないので、ブロゴスフィアに

    日記にかんする日記 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/03/15
    「議論や情報を第一の価値にしなくても」そういうのを第一にしたものって日記じゃないような気がする。もしくはそうであって欲しい。
  • 購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常

    ミステリなどで、今までこうかと思って読み進めていた話が、まったく違う斜め上の解決で終わり、自分の考えていた問題意識が梯子を外され宙ぶらりんになってしまうことがある。そういうとき、「壁にを投げたくなりました!」という人がいる。 ブログにおいても、今まで面白いと思って読んできたものが、実はある宗教団体の(元)信者によるものだった、という、ある意味驚天動地の叙述トリックに対して、「なんじゃそりゃー!」と、「壁にを投げる」と同等の機能を実装していただきたいものである。 社会的責任がどうとかいうのはよく知らんけど、人の書いたものを読み、それを受けて自分も書く、という世界では、とりあえず、読んだもののオチが気に入らなかった人は「なんじゃそりゃー!」と言っておけば、たいてい間に合うような気がする。

    購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/03/15
    んで、気持ちが落ち着いたら拾って本棚に戻すんですよね。
  • 長く書けばそこそこ面白くなるっぽいネタ - 焚書官の日常

    勿論、思考実験。 「はてなSNS(2)」が、別の見た目で、またもや公開される 画面を見て唖然。黒バックに蛇や蛙がうごめくひどいデザイン。 こういうとき誰にどう文句を言えばいいのか? 前回「技術的には全て公開情報なんですから文句を言う筋ではない」と言っていたvmekkenに言わせると、これは「デザインの問題だからデザイン的な不備を指摘するしかないのでは」ということらしい デザイン論の時間のはじまりだ 文化的に与える不快感 そもそも蛇のもつ意味とは、蛙とは… …いったい、何を調べてるんだ? webデザイン職にしている人のブログがはてなブックマーク界で話題になる。 「はてなSNSのデザインと哲学」というエントリに300超えのブックマークがつく「今回のはてなのデザインのひどさはそういうことか!」「なるほどー」 そして「もっとトータルにサイトデザインをするディレクターを置くべきでは?」という組織

    長く書けばそこそこ面白くなるっぽいネタ - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/03/03
    web2.0時代が来るとして、変わらなくてもいいものなんてない筈。
  • なぜかはてなの古いユーザがいろいろ本件について憤ってるように思われる件 - 焚書官の日常

    自分が絡んでいる動機について。あらかじめ言っておくと論理的な理由ではありません。 http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20060302/hatenasns これは個人的には、どちらかというと「住所登録」と連続している問題です。実害はどうということはないかも知れないけど、運営者が勝手に自分の情報に関するビューを増やして自分の紹介をしている(ように見えてしまう)ことに対して、その手際のまずさに、何やってるんだろうはてな、という気になる。 RSSの収集→再構成は、技術的には第三者でもできることですが(そしてはてラボはそういう性質のもの=はてな社員の手すさび発表の場であるとうたわれていますが)、そうであっても(仮に、全てのことがレンタルサーバなど外部のサイトを使って行えることだとしても)、運営者の名前でそれを公開することには、別の意味が生まれると思います。 これが正解など

    なぜかはてなの古いユーザがいろいろ本件について憤ってるように思われる件 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/03/02
    一番共感できる立ち位置だなあ。『こういう件で必要以上に「公開されてるからいいんじゃ?」「インターネットってそういうもんじゃ?」と言う人のほうが、考えるのをやめてしらを切っているように見えてしまう』鋭い
  • 外から思いつき - 焚書官の日常

    家で文字を修正 アイデアにながなが書いて、結局いいたい事はたいして強い意見でもないわけだが 晦渋になってしまうのは、技術的パラメータによって自分の感覚や意見が 簡単に曲がってしまうからだ 例えば、今回のもやもやは、はてなの認証apiが公開されていたら いちぶ、どうでもよくなる 外部で完全に、はてらぼ互換のものがつくれるわけで しかし、それをおれは自分の間違い、というふうには あんまり考えないというか… 自分ではなく、そういう、結論のゆらぎを考慮しない、なんかあるとすーぐ、 「なら公開やめればいいのに」 で、結論をフィクスさせる事のできる、脳天気さのほうが 興味ぶかいというか。

    外から思いつき - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/03/01
    「気持ちの問題」をうまくやりくりする方法を誰か。
  • 匿名の問題ではなく文責不定の問題だと思う - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060216/jinbutsuwikikirai wikiに不特定多数(「みんな」)の価値評価を書くのは僕も大嫌い。ululunさんが腹を立てているのは気分としてよくわかるんだけど、その根拠が少し違う。 「匿名で悪口を言うこと」ではなく、「文責が定かでないこと」が問題。一人が編集した瞬間、あたかも複数の人の査読・承認を経たように、ぬけぬけとwiki空間に存在してしまう、というのがおかしいと思う。 ここでおさらい→google:黒ユーザーリスト 「文責が定かでない」ということを問題にしないと、悪口を書かないwikiが無条件に「よいもの」になってしまう。その最たるものがwikipediaに対する信仰だと思う。 ここでおさらい→http://ameblo.jp/kougen/entry-10007917580.html wikiped

    匿名の問題ではなく文責不定の問題だと思う - 焚書官の日常
  • 自分を定義した仮の呼び名がいつの間にか狭い社会で流通する言葉になっていることについて - 焚書官の日常

    自分の仕事を一語で説明するのに、ときには修辞めかして「〜屋」「〜書き」と言うことはあるかも知れないけど、人が作ったそういう修辞から気でカテゴリを作って、たとえば世界には「Flash職人」という生き方があるように考えてしまうのは、怖いことだよなぁと思うのだった。いや、怖いとはちょっと違うけどうまく書き表せない。 (読んだことないけど『13歳のハローワーク』って、そういうものへの解毒剤として働いてないのだろうか? マジで就職マニュアルとして読まれているとしたらそれは怖いことです) とはいえ、いわゆる絵師、とか、いわゆるFlash職人、と、何にでも、こうやって(両手の指を二ずつ頭の横でピコピコさせて)いわゆる、を付けて回るわけにはいかないので、はてなグループを活用して、自分が使っている言葉のトライブを明らかにするか、または読者が誤解しないように日記に書くときは[orego::絵師]みたいに書

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    comnnocom 2006/02/16
    名前があった方が便利だったりするんだけど、名付けて安心してしまっちゃだめだよね。
  • 自分にとって自明のことは屁理屈でもどんどんまとめたほうがいいという結論 - 焚書官の日常

    下のことを殴り書きで書いて、自分の文章の粗雑さ、あるいは人を説得するにはほど遠い書き方であることに、自分自身イヤな感じを覚えるのだが、かといってことさらそんな話題をこれ以上ふくらませようとも思わず、単に自分の感覚でこうなんだと思ったことを書いているだけで、そもそもそんなことを一般化もせず漫然と日記に書くというのはどうなんだ、と、あらためて思い直したくなるのだった。 ただ自分の感覚が正しいことを説明するために書いてる、そしてそれを繰り返し書く、というやりかた、で3年書いてるつもりだが、書き方が変質してるか(g:fragmentsのせいではないと思うが)、自分が変わったかで、どうもやりづらい最近だ。 主観的な話はどんどん書いては倉庫に入れていったほうがいいということになるような気がする。自分に限らず、ブログで議論ができるかも? と思ってる人が挫折して無数のオレ理論キーワード部を作り始める…あぁ

    自分にとって自明のことは屁理屈でもどんどんまとめたほうがいいという結論 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2006/02/07
    それがbloggerなんじゃないでしょうか。
  • じぶんグループを作ってみた - 焚書官の日常

    またそんな…。 g:mutronix bbs/taskメインで使う予定。bbsはオープン設定の予定です。 今更、なんで… 経緯を思い起こしてみる。あるいは歴史を捏造。 グループのサービスができたばかりのとき、自分が自由に使えるキーワード空間+ダイアリというのは魅力だと思ったが、g:mutronixという名前で取ってしまうのはやはりちょっと抵抗があったし、そういう名前のグループだと人が入ってこられないと思った 書くときは別に一人でもいいし、グループ内で議論するなんていうことは最初から考えていなかったんだけど、誰かがそこにいるという下支えがないと自分は書かなくなるので g:fragmentsをこっそり自分専用辞書グループとしてとってみた プレフィクスを付ければ他人と干渉せずにwikiっぽく遊べるのでは? というアイデア。このアイデアが最初からあったわけではないと思うが、ひとりグループのときも

    じぶんグループを作ってみた - 焚書官の日常
  • web功利主義者 - 焚書官の日常

    (アンカーてきとうにつけたが功利主義はUtilitarianism) 罵倒っぽくならない、もっと適切な造語が欲しいです。 ブログのエントリは意見である 意見に対する反論は正々堂々とコメントかトラックバックで 反論お持ちならば議論しましょう そして結論を出しましょう 後で読む第三者のことを考えましょう webに資産を残しましょう 全体のことを考えて緊張して行動しましょう わたしはこれらを否定するものではないし、もっともだと思う部分もあるが、たかだか一つの立場でしかない。でもなぜか、こういう人はwebかくあるべし、という理想を掲げていろいろ語りたがる。その押し付けがだんだん最近陶しく感じられるようになってきた(そして、はてブの特異性を訴えるエントリはもう飽きた)ので、そろそろ相対化する言葉が必要だと思う。 ちょうど今K2Daさんがそういう話をしていてちょう面白い(何言ってるかよくわかんないけ

    web功利主義者 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2005/12/29
    多分真のモヒカン族がいないのと同じで、挙げられてるような考えを全て持っててそれが正しくてこうあるべきだと思ってるような、真のweb功利主義者は存在しない。
  • ソーシャルブックマークのタグ付けにノイズを感じる件 - 焚書官の日常

    SBSのタグは、個人の行為の積み重ねが、全体としてはだいたい良好な結果を導き出す、という予測にもとづいてデザインされているので、これにノイズが入る、という言い方がよくわからない。 「そういう周辺領域が中心を活性化させるのです!」とか言っておけば、web功利主義者を納得されることができるかもしれない。 自由に使っていいですよーと巨大な粘土を渡されて、100人で好きずき部分部分をいじって遊んでいたら、突然学級委員が現れて「みんな! もっと全体のことを考えていじろうよ」とか言われてる感じですよ。出てきた結果が全てなのに。 追記 ちょっと昨日からの流れで「立場表明」→「べき論」へのすり替えに過敏になってるようだ。 ブクマされているようなので補足。 こういうことを書くと、いったん話を公共性という上のレベルの話にして、そこから別の場所、たとえば「はてブの暴力性」とかいうところに着地して、「だって自由な

    ソーシャルブックマークのタグ付けにノイズを感じる件 - 焚書官の日常
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    comnnocom 2005/12/28
    その粘土像はまだ完成していない。というか完成しない。委員長的意見が出てくることも含めて出てきた結果が全てなのだと思う。委員長の言葉に耳を貸す人も貸さない人もいて、出てきた結果が全てなのだと思う。