“涼宮ハルヒの憂鬱”の主人公は長門有希…ではなく、キョン、ということになっている。あの朴念仁なキャラクターは、メタな姿勢に終始しがちで、感激や情緒に身を委ねることがない。というよりも、感激や感動や夢中といった類のエモーションから逃げ回っているようにさえみえる。 まぁ、キョンのような処世術にも長所がないわけではない。面倒事に巻き込まれにくく、何事もそつなくこなしやすいという点に関しては優れているし、何かに期待しすぎて裏切られて傷つくとか、そういう事も少なそうだ。しかしああいう処世術は、情緒を伴ったコミュニケーションには全く不向きだし、何かに感動したり夢中になってのめり込むということにも向いていない。 情緒を伴ったコミュニケーションに向いていないということは、男女交際に際しては相手をヤキモキさせてしまいやすく、恋愛の機敏に優れない、ということでもある。あの、気の毒なハルヒのヤキモキっぷりをみて