2007年08月02日07:45 カテゴリ書評/画評/品評Love 書評 - 私、おバカですが、何か? バカで強かな女による、バカで強かな一冊。 私、おバカですが、何か? 深田萌絵 どういう強かさというと、こういう強かさだ。 404 Blog Not Found:幸福を痛感する それに代わって登場したのが、「強靭」の価値だ。強靭は一日や二日では身に付かない。しかしそれが身に付く過程で「優秀」もおまけについてくる。そこでは頭が良いことではなく、頭が強いことが決め手となるのだ。本書「私、おバカですが、何か?」は、「株アイドル」にして女子大生である深田萌絵が、いかにして「偏差値40」から現在の地位を手に入れるに至ったかを綴った本。 極東ブログ: [書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵) 単純に面白く、役立つようにできているので、まずはお得な本と言えるなと感心した(
去る6月24日の日曜日の午後、私がかつて京大に在籍していた当時、事務室や図書室の職員として親交のあった6名の方々が揃って私宅にお見えになりました。しかも、これらの皆さんとは、教員と職員との関係という以上に、京大職員組合の組合員としてもともに活動していたという関係も加わって、親しさが倍増しているのです。 幸いにも、私の手元には、京大退職時(昭和57年)に「京大職組法学部支部」の皆さんから贈られた寄せ書きが残っていましたので、この証拠品をめぐって話題が広がりました。その寄せ書きの中央には、杉村敏生先生が「新しい職場での奮闘を」と墨書されており、全部で16名の職員の皆さんが餞別の言葉を書き込まれています。その中には、もう亡くなられた方々もおられると聞き、年をとってからも元気で再会できたことを喜び合いました。 私は、昭和30年に京大助手に採用されて以来、最初から教職員組合に加入し、学問研究とともに
アインシュタインはいっている_ぼくの相対性理論を理解できる者は世界に12名しかいない。 そのくせ、相対性理論を説明した本は山ほどに出版されている。 彼自身は相対性理論をつぎのように、ごく簡単に説明している_美人のそばにいると1時間いても わずか1分間のような気がするが、熱いストーブにかけていると1分間が1時間にも思える_これが つまり相対性原理なのです。 さあ、それが相対性原理だそうだ。ぼくにはなるほどよくわかるが、もし怪しいと思うなら テストしてみるのもよかろう。ぼくは美人のそばにいることにする。君は熱いストーブにかけたまえ。 ・・・・彼は物を考えるには秩序を尊ぶが、生活には何の秩序もないそうだ。やりたいことは いつだろうがやりたい時にやる。日常生活の原理はふたつしかない。第1は、規則は絶対に作るな。 第2は、他人の意見に左右されるな、である。 ・・・・彼は、どうも非常に幸福な人らしい。
フォーサイト誌5月号「シリコンバレーからの手紙」(129)に書いた「生きるために「読み」 「書くこと」で生きる」 http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u129.html が、ネット上にアップされました。 ・・・・・・・ 『遠い太鼓』は、四十歳を迎えた村上春樹が、自らの三十代後半を振り返って書いた自伝的エッセイでもあり、独立の意志を固める時期にちょうど三十代後半にさしかかろうとしていた私には、年齢的にも共感し、影響されるところが大きかった。 「四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だ
僕の叔父さん 網野善彦 スポンサード リンク ・僕の叔父さん 網野善彦 学者一族に生まれた中沢新一は、偉大な歴史学者の網野善彦の甥にあたる。幼少のころから仲が良かった中沢は、網野の死に際して追悼の記念にこの回想記を書いた。中沢の名文により、二人の背景がよく見える本だ。どちらかのファンなら必読である(私は中沢新一のファン)。 それにしても恐ろしくインテリな家系である。おじちゃんと甥っ子、お父さんと子供の会話の内容が、そのまま歴史学であり民俗学であり宗教学なのだ。冗談ではなくて、本当に学会みたいな家族である。 たとえば「私は高校生になった頃、英語に訳された「我国体の生物学的基礎」を読んでいて、奇妙なことに気がついた」と中沢の思い出が語られている。高校生がそんな本を読んで、英訳のニュアンスの違いを発見して、叔父にそれを指摘するのだが、活動家の父親も加わって天皇制と国体の議論へ展開して、ひとしきり
教育力 スポンサード リンク ・教育力 冒頭で「教育の根底にあるのはあこがれの伝染である」と著者は結論をいう。いきなり納得して、続きを読みたくなった。 私は中学、高校(退学)と長い間、落ちこぼれだった。それでも入試が難しい大学に入れたのは、近所の小さな私塾の一人の英語教師のおかげだった。そこのT先生は東大でギリシアの方言研究をしていて非常勤講師をする傍らで、恐らくは生計を立てるために、高校生向けの塾を開いていた。 来る日も来る日も、学校の教科書は使わず、古今東西の名文の全文和訳ばかりを生徒にやらせていた。希望者は授業前に黒板に自分の和訳をびっしりと板書しておく。授業ではそれを先生が添削する。キング牧師の「私には夢がある」演説や、シェイクスピアの一節、ジョージ・バーナード・ショーのエッセイなど、歴史に残る名文ばかりが授業の題材であった。今でも内容を覚えている。 私はまず先生に憧れた。日本の最
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