2007年01月06日07:00 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 書評 - 深海のパイロット 深海は宇宙以上に未知の世界であり、そして宇宙に勝るとも劣らぬほど面白い。 深海のパイロット 藤崎慎吾 / 田代省三 / 藤岡換太郎 そこまでは私も知っていたし、「メタルカラーの時代」のしんかい6500関連の記事などは食い入るように読んだのだが、その上新書フェチの私が本書を今まで見落としていたのは何たる不覚。 本書「深海のパイロット」は、しんかい2000(本書中では"2K")、そしてしんかい6500(同じく"6K")のパイロット--レトリック抜きの深海のパイロットたちが、その経験を通して深海を語った一冊である。三年前に出版された本であるが、今でもその内容は色あせていないし、今こそもっと読まれるべき一冊である。 目次 はじめに 第一部 深海には面白いエピソードがいっぱい (藤崎慎吾) 第一章
2007年03月09日15:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 書評 - 地球の内部で何が起こっているのか? そのブルーバックスとガチンコな光文社新書の一つが、こちら。 地球の内部で何が起こっているのか? 平朝彦 / 徐垣 / 末廣潔 / 木下肇 404 Blog Not Found:書評 - 春宵十話 光文社新書の「主流化」は著しくて、最近は岩波新書やブルーバックスとガチンコのタイトルも珍しくない。 深海のパイロットが気に入った人は、本書も絶対に気に入るはず。 本書「地球の内部で何が起こっているか?」の主人公は、独立行政法人海洋研究開発機構 JAMSTECの誇る地球深部探査船「ちきゅう」。「深海のパイロット「」の主人公「しんかい6500」が世界一の潜水調査船であるのと同様、「ちきゅう」は世界一の地球深部探査船だ。 目次 http://www.kobunsha.com/book/
四捨五入して不惑になる年齢(って表現も変だが)を迎えた筆者だが、未だにつらいと思い続けていることがある。それは「早起き」だ。小学校、中学校、高校と、考えてみればよくまあ8時半などという驚きの始業時刻に間に合っていたものだと思う。1時限はフケたりしたことも多かったが、それでも9時ごろには学校周辺まで行っていた。我ながら偉いものだ(って当たり前?)。 それが何をどこでどう間違ったのか、現在は9時に起きればましな方。朝にはめっぽう弱く、都内で10時からアポイントメントがあるというだけで、前日から「早く寝なきゃ〜、早く寝なきゃ〜」といった有り様である。 一日一回ずつ、死ぬまでほぼ必ずやってくる「入眠」と「睡眠」と「目覚め」。これで苦しむのは人生の大部分を損している気がする。寝付きは割といい方なのだが、最近は特に「睡眠の質」と「目覚め」がひどい。何とかしたいと切に願っていたところ、「ジョナサン、俺に
アメリカの陰謀映画ディレクター Aaron Russo が二-ルロックフェラーに、「これから一般市民の脳に半導体を埋め込んで、ロボットにする計画がある」といわれたそうだ。 それは現実的に可能なのでしょうか? 以前、自分がそういう実験をされたという男が私の事務所に来ました。その時私は、彼は精神病院に行くべきだと真剣に思った。 しかし先週、中国の政府は鳩の脳に半導体を埋め込んで、飛ぶ方向をリモコン操作できるということを発表した。アメリカ海軍も同様の方法でサメを操れるということを発表している。またアメリカの刑務所では8人の危険犯罪者の脳に半導体を埋め込んで、暴れたときに停止させたという論文発表もある。 一般論でいうと、実際の研究というものは、発表より10年以上進んでいるものだ。 アメリカでは今、皮膚下に半導体チップを入れて、ID情報やクレジット情報などが暗記されて買い物が便利になるというキャンペ
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 景気は回復基調にあるようだが、まだ日本は自信を回復するまでには至っていない。今の日本が経済的に世界を牽引していると感じる方はそう多くないだろう。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)をはじめとする発展途上国が急速に存在感を増していることや、高度経済成長のシンボルだったエレクトロニクス産業の国際競争力に疑問符がついていることなどが、日本の復活を印象づけられない背景にある。 日本の頭越しに物事が進むジャパンパッシングは、様々な分野でどんどん進行している。国際物流では、日本に国際ハブ港がなくなって久しい。EU(欧州連合)や北米向けのコンテナ船で日本に寄港するのは10~30%に過ぎない。例外はあるが、以前このコラムでも書いたようにアジア諸国では
先日、京都市に在住のある方から、「H木K子さんが、女性は拍手の音を立てるべきではないなど誤った神社参拝方法をTVで喋り、その弊害が発生しているとの話を聞きました。ブログで一度取り上げてみられてはいかがでしょうか」とのメールを戴きました。 H木K子さんとは、TVや雑誌等で広範に活躍されている売れっ子の六占星術家(作家、タレント、実業家なども兼ねておられます)で、そのH木さんが以前から「男性は拍手しても構わないが、女性は神社では柏手を打ってはいけない」と言っているということは私も聞いて知っており、やはり気にはなっていました。幸い、当社ではまだそのような参拝者は見かけたことはないのですが、神社によっては、神職が二礼二拍手一礼の参拝方法を説明しても、「それは間違った作法です。H木先生は、神社では女性は拍手をしないのが正しい作法と仰っています」と神職に食って掛る参拝者もいると聞いていたからです。 そ
都知事選に出馬表明した浅野史郎・前宮城県知事は「市民派」として知られ、今回も市民団体主催の集会に出席したことがきっかけで、出馬を決意した形だ。しかし、応援団として名前を連ねているのは、「プロ活動家」風の人が多く、社民党の応援団と誤解されかねない顔ぶれだ。 浅野氏は2007年3月2日、東京都庁で正式に出馬を表明し、 「その(石原都政の)変革を必死になって願うメールや意見に接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思うようになりました」 などと、市民の声をきっかけに出馬を決意したことを明らかにしている。 週刊誌は浅野氏を後押しした市民団体の「素性」を問題視 出馬にいたるまでの経緯を振り返ってみる。2月16日、浅野氏が出馬に否定的な見解を示す中、「政党からの出馬要請ではなく、市民からの要請なら受ける可能性があるのではないか」と、五十嵐敬喜・法政大教授が呼びかけ
最近、銀行の支店の店頭に二度足を運んだ。一度目は、古い預金通帳に入っているお金を引き出すために預金の解約に、二度目は昨日だが、確定申告による所得税の払い込みのためだ。何れも「M」が頭文字の銀行だが、別々の銀行で、共に自宅から電車で3駅ほどある場所の支店だ。 預金の解約では、先ず、大いに待たされた。ぼさっと突っ立って待っていたら、イスが空いたとたんに、「あちらに、お座り下さい」と指図されて、窮屈なところに座らされた。好意からなのだろうが、指図の雰囲気が高圧的で、「立っていると、邪魔だ」と言わんばかりのニュアンスだった。私が座っても、まだまだ立っている人はいるのだが、私は目障りだったのか(←たぶん、考えすぎだろうが)。 座ってからも延々と待つ。持っていた、日刊ゲンダイも、夕刊フジも読むところが無くなって、支店に入ってから、1時間以上が経過してから、私の番号札の番号がアナウンスされた。 古い通帳
前に書いておいて、どうせ佐藤優などというのは一過性のブームだろうと思って削除したが、そうでもないようなので少し修正して再掲する。 「国体教の山僧・佐藤優」 なんか最近たてつづけに佐藤優の名を知人から聞いた。「外務省のラスプーチン」である。『一冊の本』で魚住昭による連載インタビューはちらちら見ていたが、調べてみたら、『世界』と『正論』に連載を持っていたので驚いた。世の中には『正論』に一本論文載せただけで就職がダメになる学者もいるというのに。『諸君!』に出ただけで非難される教授もいるというのに。 もう左右を問わずたいへんな売れっ子評論家らしい。 しかし、単にその閲歴でもてはやされているだけで、言っていることは、多量に読書をしたちょっと頭のいい若者の思いつきの域を出ていない。ある仮説を、学問的に多方面から検証することができていない。ただ珍奇な説を断定的に述べているだけである。 これはその知人の一
NHKで待ち合わせて、 住吉美紀さん、有吉伸人さんと 車に乗った。 陽光がほんとうにさわやかで、 車窓からの景色が心地よい。 私は急いで終わらせなければ ならない仕事があったので、 前部座席に乗り、時々後ろの二人と 言葉を交わしながら仕事を進めていた。 「直近は、メールを読んで返事する こともできないような状態なんですよ」 「ぼくもそうです」 「メールが読めなくなってしまっては、 いよいよ忙しさの末期症状ですねえ」 有吉さんと同病相哀れむような会話。 書き終えて、メールを送信した瞬間、 本当にウソのような話だが、 ちょうど車が目的地に着いて、 さっとモードが変わって すっと背中が伸びるような緊張感が走った。 スタジオ・ジブリ。初めて 目にするアニメーションの聖地は とても気持のよい空気に包まれていた。 まだ撮影開始まで時間があったので、 付近を散歩していると、有吉さんと 荒川ディレクターが
何だか一種不思議な感慨の中にいる。 先日朝日カルチャーセンターで 竹内薫と話した時、 竹内が、「学生の時、茂木がしきりに ニーチェとかワーグナーとか言っていたけれども、 それから丸くなって、社会と適合して、 でもまた今日ニーチェとかワーグナーとか 言うようになって、何だか昔に戻った みたいで安心したよ」 などと竹内に言われたが、 確かに、自分でも精神年齢、 というか参照する心の時季がどんどん前に さかのぼっているような気がする。 手元は朝起きてから夜眠るまで一部の 隙もないほど仕事で埋まっているが、シャワーを 浴びたり、歩いたり、ふと空を見上げたり する時に自分の中からわき上がってくる 思念が、ここのところ 思春期からずっと考えてきたことに 連なっている。 それとともに、現代社会で起こっている 様々なことが、まるで影絵のように少し 遠くにあるように見え、 そのようなものと直接関係をもたない
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070309k0000m040125000c.html 元役員は「(自分が)『村上ファンドに借金を背負っていて置屋の女郎のようでした』という調書になっていたので、とにかく抵抗した。『削ってください、そんな(置屋の女郎という)こと一言も言ってない』とお願いしたのに『お前の供述書じゃないんだ。検事様が作る供述調書なんだ』と言われた」と証言した。 「置屋の女郎」という表現自体が、かなり現代の感覚とは異なり、「?」という感じの上(そもそも、「置屋」「女郎」と聞いて、具体的なイメージが浮かばない人のほうが多いでしょう)、自分で自分のことを、「置屋の女郎のようでした」とは、普通、言わないでしょうね。 上記のように、「抵抗した」という証言が自然に聞こえる上、「検事様が作る供述調書なんだ」という表現が、妙に
デカルトは”方法的懐疑”という手法を使って「我思う、ゆえに我あり」というものにたどり着いたという。 幼児の時から無批判に受け入れてきた先入観を排除し、真理に至るために、一旦全てのものをデカルトは疑う。 この方法的懐疑の特徴として、二点挙げられる。一つ目は懐疑を抱く事に本人が意識的・仮定的である事、二つ目は一度でも惑いが生じたものならば、すなわち少しでも疑わしければ、それを完全に排除する事である。つまり、方法的懐疑とは、積極的懐疑の事である。 (中略) 方法的懐疑を経て、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられ、純化された精神だけが残り、デカルトは、「私がこのように“全ては偽である”と考えている間、その私自身はなにものかでなければならない」、これだけは真であるといえる事を発見する。 ルネ・デカルト - Wikipedia 人を根源に立ち帰らせるためには、いろいろと徹底的に懐疑してみるのはいい
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