照りつける日ざし。連日の厳しい暑さで熱中症のおそれもあり、日傘を使う人も多いのではないでしょうか。 真っ赤な顔で汗をかきながら学校に通う子どもたちを守りたいと、保護者の中には、日傘を持たせる人たちもいるようです。 でも、SNSを見ると「学校に日傘は禁止と言われた」という多くの不満の声が。 「危険な暑さなのになぜ?」 保護者の皆さんの“モヤモヤ”を受けて、調べてみました。 (ネットワーク報道部 記者 野田綾 鮎合真介 SNSリサーチ 三輪衣見子)
![News Up 子どもが日傘で学校、ダメ? | 熱中症 | NHKニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ec25086010846bedf1f02c6de73a3048d4b2a262/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fhtml%2F20200825%2FK10012582871_2008251524_2008251852_01_02.jpg)
日本中の薬局からうがい薬が消えるきっかけとなった、吉村洋文・大阪府知事の「イソジン会見」(8月4日)から3週間が過ぎた。 「(イソジンなど)ポビドンヨードを含んだうがい薬で新型コロナの陽性者が減っていく」と自信を持って語る吉村知事の傍らにいた、会見の“もうひとりの主役”にいま、ある疑念が湧いている。 「今回の研究を行なった松山晃文・大阪はびきの医療センター次世代創薬創生センター長のことです。この研究は5月末に企画され、6~7月にかけて行なわれたと発表されていますが、松山氏は7月末まで藤田医科大学に医学部教授として籍を置いていた。 はびきの医療センターでの研究は大学に無断で行なっていたらしく、兼業を禁止している大学の職務規程に違反しているのでは、と言われているのです」(事情を知る医療関係者) 会見で注目を集めた松山氏は、その後もテレビ出演を続け、イソジンの効能について「感染拡大を防ぐ効果は示
高松琴平電気鉄道(ことでん、香川県)はシルバーウィークの9月20・21日の2日間、同社が保有する「レトロ電車」の全4両を使用する特別運行を実施する。このうち2両は今回の特別運行を最後に引退する。 8月30日に行われる予定の特別運行と同様、乗車は事前申込制。9月20日は午前の部と午後の部、9月21日は夜の部の合計3部の実施になる。このうち夜の部は撮影会も含まれる。 定員は各部とも78人で、参加費用は午前の部・午後の部が2000円、夜の部が6000円。いずれもキーホルダーや記念乗車証が付く。申込みはことでんウェブサイトの応募フォームで受け付けている。募集期間は9月3日の17時まで。 ことでんが保有している「レトロ電車」は、1925~1928年に製造された23号・120号・300号・500号の4両。現在は定期運転の列車では使われていないが、年に何回かの特別運行で運転されてきた。 いずれも製造から
鹿島の元日本代表DF内田篤人が現役引退を発表した。故障が要因とはいえ、32歳というあまりに早い決断だった。 日本史上最高の右サイドバックと評された男は、その甘いフェースとは裏腹に、決して折れない信念の人間だった。 いまでも覚えている言葉がある。 「W杯で勝つのが目標なのか。自分たちのサッカーができればOKなのか」 2014年W杯ブラジル大会。1次リーグ初戦でコートジボワールに敗れ、内田がミックスゾーンで問わず語りでつぶやいた台詞だ。 当時、本田圭佑や長友佑都、岡崎慎司、香川真司ら中心選手たちは攻撃的なスタイルに絶対的な自信を持っていた。敵地でフランスやベルギーを破り、コンフェデレーションズ杯ではイタリアと真っ向勝負の打ち合いを演じた。どんな強豪と戦っても―の思いを共有していた。 「自分たちのサッカーをすれば勝てる」。多くの選手たちが口にしていた言葉は、強烈な自信と自負、「世界一になる」とい
各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回は、ヤクルトの守護神を務める石山泰稚投手(31)です。小学校のクラブ活動で4年生から始めた野球。投手でも、レギュラーでもなかった中学時代。そして金足農での転機と、決して野球エリートではなかった歩みを追います。キャッチボールを、練習を、野球を、全力で楽しもう! 野球人生の出発点は「楽しい」だった。旭北小低学年から少林寺拳法を続けていた石山は、クラブ活動で何部に入ろうかと考えた。バスケットボール部か、サッカー部か…。でも相談した父親からは「野球だったらいいよ」の答えが返ってきた。「クラブ活動をしないと友達も増えないですし、暇だから野球やろうかなと思いました」。小4でのこの決断が人生を左右することになるとは、全く思っていなかった。 初めてのキャッチボール、ノック。毎日の練習は、とにかく楽しかった。試合にも出場したが
昨日、鹿島アントラーズの内田篤人選手が引退するというニュースが飛び込んで来ました。 【お知らせ】 内田 篤人選手が2020シーズンをもって現役を引退することになりました。8/23(日)ホームG大阪戦終了後に引退の挨拶、8/24(月)にオンライン記者会見を予定しております。#antlers #kashima プロフィール詳細などは公式サイトをご覧ください。https://t.co/VVzHHf8196 pic.twitter.com/xUC2xeh7Jr — 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) August 20, 2020 その一報を受けて、古巣のシャルケ04公式もすぐさまTwitterで感謝を表し、リプライ欄にはシャルケサポーターからの引退を惜しむ言葉が連なっています。 Atsuto #Uchida beendet seine Karriere ?? Schon, da
内田篤人が32歳の若さで引退を決断した。2006年に清水東高から鹿島に加入後、14年半年に渡ったプロ生活。内田が振り返って「つらかった」ということはあっても、さなかで弱音を吐くことはなかった。ブラジルW杯前に2014年に右ひざを負傷し、15年に手術を受けたあとはけがとの戦い。約1年9か月試合から遠ざかる時期もあり、リハビリと復帰を繰り返してきた。 顔を合わせれば、必ず状態の話になった。「また、やっちゃった」と太ももの肉離れを伝えられ、うなずいていると「この繰り返しだから。付き合っていくしかないよね」と続けるまでが、あいさつの1セット。それほどけがが多く、結局「順調」や「状態が良い」という言葉は1度も聞くことがなかったが、弱音も聞いたことがなかった。 支えていたのは、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ元監督から送られた言葉だったように思う。18年ロシアW杯イヤーの前年、同監督からけがで苦しむ内
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