大阪に戻った円広志さんはわずかに残った印税と借金をして、梅田に人生の〝基盤〟となる「スタジオ246」を作った。2号店は今回の取材で訪れた天六店。名前に「GEN」と入れた。もちろん、ヤマハ音楽振興会の理事長だった川上源一氏の「げん」である。それからの円さんのタレントとしての活躍は、読者のみなさんもご承知のとおり。実はそのきっかけは「1通の手紙」だという。 紳助さんの手紙大阪でレンタルスタジオを始めた円さんのもとへある日、1通の手紙が届いた。差出人はタレントの島田紳助さん。面識はなかった。 『あなたは売れてないんですから、道を真っすぐに歩くのはやめてください。下を向いて悲しそうに歩いてください』 「なんじゃこれは。けんか売っとんのかい!」と円さんは怒った。すぐさま、紳助さんが出演していたMBSラジオに乗り込んだ。 島田紳助さん=平成15年撮影 「ちょっと紳助に言いたいことがあるんや!」。スタッ