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2009年6月11日のブックマーク (8件)

  • シニシズムの原理としての機会原因論

    『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)に掲載された記事に加筆したもの。 シニシズムの原理としての 機会原因論 目次 オレンジ色のにくいやつ 批判主義とシニシズム ふたつの構築主義 ロマン主義の意味するところ シニシズムの原理としての機会原因論 オレンジ色のにくいやつ 早稲大学文学部の構内でビラを配っていた二十二歳のアルバイト男性が、「建造物侵入罪」の現行犯という名目で「大学教職員」によって身柄を拘束され、警察に引き渡されるという事件がおきた。二〇〇五年一二月二十日のことである。建造物侵入罪と、教職員という「私人」による逮捕の組み合わせが、かなり危機的なものであるということは、すでにべつのところで述べたとおりだ*。そのあとに「学生・教職員のみなさまへ」と題された、「早稲田大学第一文学部」「同第二文学部」「同文学研究科」の公式の声明が、早稲田大学文学部公式ホームページおよび文学部構内の立て看板に

  • 社会通念と表現 - 地を這う難破船

    ⇒いくつかの失望と怒り - いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー) から、id:T-3donさんのコメント。 差別の受容と文脈に関しては、sk-44@地を這う難破船さんも論じていますね。正直、地下さんの論との差異が何処で生じるのか今一つよく解らない(からブクマコメントできない)んですが、この後明らかになるのではないかと期待を持っています。いまだ回り道の途上である、と私は考えますので。 ごく簡単に言うと。表現、というのは社会通念のコードに対する異議申立としてある。社会通念のコードをそのままなぞってしまうなら、それは表現ではない。表現論的にはそうなります。無自覚になぞってしまうならそれは素人だし、自覚的になぞってみせるならそれはプロの仕事です。プロの仕事とは、商業ということです。そして、そもそも社会通念のコードが(性差別に限らず)差別的であるとき、その差別性を自覚的になぞってみせるプロの

    社会通念と表現 - 地を這う難破船
  • 「常識」の差:専門家の責任をめぐる組織と個人の関係について | MediaSabor メディアサボール

    いわゆる「足利事件」で有罪判決を受け服役中だった受刑者が、DNA再鑑定の結果、冤罪である可能性が高まり、再審開始決定を待たず釈放された件は、警察及び司法システムに対する不信が高まったという点でも、他の類似の再審請求事案に対する影響という点でも、大きなインパクトをもって受け止められている。当時、捜査を指揮していた元警察官のブログには、事件に関する言及があったことから批判的なコメントが殺到し、いわゆる「炎上」状態となったらしい(すでにブログは削除されたようだ)。 この件が裁判員制度をめぐる議論、捜査の可視化をめぐる議論に飛び火するのは当然の話で、すでにあちこちで議論が行われているが、私としては、以前にも書いた(http://mediasabor.jp/2008/08/post_466.html)「専門家の責任」という視点から少し考えてみたい。組織に所属する専門家の責任についての考え方や取り扱い

    dance777
    dance777 2009/06/11
    高度な専門性を要し、不確実性の高い状況下でタイムリーに判断を下していくこと、多くの人たちが関与し組織として決定されるものであることから、実際上特定の個人だけの責任が問われるケースはさほど多くないはずだ
  • 刑事責任能力 / ワードBOX / 西日本新聞

    被告が事件当時、自分の行動に責任を負える精神状態にあること。刑法39条により、精神障害の影響で、やっていいことと悪いことを判断できないか、やってはいけない行為を抑えることが全くできない「心神喪失」のときは無罪となる。そうした能力が大きく減退していたときは「心神耗弱」として刑を軽くする。人格障害とは区別し、判断は精神鑑定結果などを基に(1)動機が理解できるか(2)違法性の認識があったか(3)犯罪行為に一貫性があるか−などの点を検討する。 裁判員裁判 精神鑑定の扱い迷走 質のばらつき一因 “素人感覚”議論の的ずれ (2009年6月9日掲載) 裁判員が加わった裁判で精神障害が疑われる被告をどう裁くか。最高裁は裁判員への分かりやすさを念頭に、傷害致死事件の判決で精神鑑定結果を尊重する方針を示したが、審理を差し戻された今年5月の東京高裁判決は従わなかった。この東京高裁の姿勢を支持する精神科医も多く、

    dance777
    dance777 2009/06/11
    「鑑定を考慮しない議論は、期待される市民感覚ではなく、素人感覚」と傍聴していた裁判官は頭を抱えた。「裁判員が“にわか精神科医”になると怖い」と不安を募らせる裁判官もいる。
  • 情報時代における言論・表現の自由

    Table of Contents 1 はじめに 2 なぜ言論・ 表現の自由が憲法に組み込まれたのか 2.1 依らしむべし、知らしめるべからず 2.2 社会契約説 2.3 複雑化する時代に 3 言論・表現の自由 3.1 誰の誰からの自由なのか 3.1.1 憲法の適用範囲について 3.1.2 メディアと憲法とのかかわり 3.2 何がどのように保護されないのか 3.2.1 猥褻表現 3.2.2 その他の規制対象となる表現 3.2.3 名誉・信用毀損 3.2.4 プライバシー / 個人情報 3.2.5 伝達者の責任 3.3 どのように規制されるのか 3.3.1 表現内容規制 3.3.2 表現内容中立規制 3.3.3 規制手法の制約 4 補論: 通信・放送事業の性質 4.1 公益事業 4.2 通信事業 4.2.1 独占が必要になる理由 4.2.2 内部相互補助の必要性 4.2.3 電気通信の事業形

  • 反売買春系フェミニスト団体を見学して感心したこと - macska dot org

    フェミニズムにおける激しい論争のひとつに、売買春に代表される性労働/性産業をどう評価するかというものがある。その大まかな分類は以前「売買春とフェミニズム理論4分類」で紹介したし、わたし個人の立ち位置は過去エントリ「『性労働者のためのクリニック』をめぐる論争」や『バックラッシュ!』キャンペーンブログ内エントリ「性労働者コンファレンス@ラスヴェガス報告」に詳しい。 反売買春をかかげる女性団体やフェミニスト団体ーー必ずしもすべての女性団体がフェミニスト団体ではないーーは昔からあったけれども、1980年代には法学者キャサリン・マッキノンらが中心となってポルノグラフィや性産業を厳しく規制する条例を作るなど法律を使った活動が活発になった。わたしの住むポートランドでも、性産業の撲滅を掲げるフェミニスト団体がいくつか設置された。そのうちの一つの活動を見に行く機会が最近あり、とても驚かされたので、紹介したい

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    dance777
    dance777 2009/06/11
    帝国主義やら、王様の横暴やらで市民に圧力がかかったり、表現を規制されたりしたという反省をもとに、「守られるべき自由」として表現の自由はある。 市民の利益を守らない表現の自由は市民によって圧殺されるもの
  • 「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 この件に関して、佐藤亜紀氏が6月3日付の日記で述べている次の内容は重要だと思われる。 『悪魔の詩』がそういう(注意:ムスリムは表現の自由を圧殺する、というプロパガンダの)トポスにならずに済む機会が、少なくとも一度はあった、と私は考えている――冗談みたいな話だが、在英ムスリム団体があのに冒涜罪を適用するようにと当局に訴えた瞬間がそれだ。逆説的だが、もしイギリスの法廷が、冒涜罪は国教会とその首長である女王に対する冒涜に対してのみ適用される、などという固いことを言わずにラシュディ氏を召喚していたら(かつ、表現の自由が、とか言わずに、悪意の有無を徹底して追及していたら)、ラシュディ氏はむかつきながらも西と東の狭間に立つ

    「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    dance777
    dance777 2009/06/11
    規制を受けた上で、改めて陵辱ゲームが私たちの社会に対して持っている「良き意味」について真剣に考え抜いて、それを社会に向かって主張すればいい。