明朝第三代皇帝永楽帝(1360-1424、在位1402-1424)は初代洪武帝、朱元璋の第四子で武勇に優れ燕王に封じられて北方の守りを任されていたが、父の死後、跡を継いだ甥の第二代皇帝建文帝の中央集権化政策に反対し叛乱を起こして皇位を簒奪、即位後は徹底した粛清と殺戮、度重なる外征によって内と外の敵を撃滅し専制君主として君臨、明帝国の基礎を築いた。その中国史上に冠絶した帝王の波乱に満ちた生涯と、彼によって完成をみた当時の東アジア地域の世界システムである「華夷秩序」とは何かを概説した一冊。 「中華」という言葉の登場は後漢~三国時代頃の造語だという。それ以前、西周時代に夏・華・諸夏・華夏などの文化的優越性を示す語や中国・中州・中土などの地理的中心性を示す語がつかわれており、これらの造語として「中華」が生まれたとされる。中華の四方に東夷・西戎・北狄・南蛮という「夷狄」が配置され、自らと周囲とを区別