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ブックマーク / bunshun.jp (22)

  • スポーツ新聞が量産する「コタツ記事」書き手の正体は…? “本当の問題点”を考える | 文春オンライン

    今回は「こたつ記事」について考えてみたい。こたつ記事とはテレビ番組での芸能人やコメンテーターなどの発言をそのまま引用して伝える記事だ。中には著名人のSNSやブログからコピペしただけのように見えるものもある。取材をせず、こたつの中に入ったままで書けるから、そう呼ばれている。 最近の具体例をあげてみると、 『アンミカ 水原一平容疑者の「巧妙な手口を見るほど、計画性…より裏切られた気持ち」』(デイリースポーツオンライン4月12日) 『上沼恵美子 冠番組打ち切りに恨み節「どれだけオゴったか」「肉、ふぐ、エスカルゴ」』(東スポWEB 4月14日) 『吉瀬美智子「急なお誘い」で集合した4人に「素敵すぎる」「美女の大渋滞」の声』(日刊スポーツWEB 4月15日) 『アジャコング 名イジリに激怒「書くな呼ぶな」「惨めでキモイだけ」事務所NGにしていると明かす』(スポニチWEB 4月15日) テレビ番組で

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  • アカデミー授賞式で批判を集めた「人種差別」疑惑、本当は何が起こったのか…エマ・ストーン、ロバート・ダウニー・Jrそれぞれの授与シーンを整理 | 文春オンライン

    混乱を呼んだ“変則的”な俳優賞の発表方法 まず、プレゼンターが5人もいた今年の俳優賞の発表方法は、通常と異なっていた。伝統的には、前年受賞者が異性カテゴリのプレゼンターをつとめる。 ただし、変則的なプレゼンター自体は珍しくない。たとえば、アジア系のミシェル・ヨーが受賞した2023年の主演女優賞において、トロフィー授与の役目をになったのは、前年ウィナーのジェシカ・チャステインではなく、彼女に同伴した約20年前の勝者ハル・ベリーだった。これによって成立したのが、同カテゴリ史上初の非白人受賞者が涙しながら史上2番目となった者にオスカー像をわたす歴史的ショット。アカデミーは、こうした「感動的な映画人のつながり」演出が大好きなのだ。 2024年の場合、歴代受賞者のプレゼンター5人がつどい、それぞれの候補へ賛辞を述べる豪華方式だった。2009年から2年連続で行われたものと似た形式で、その復活を求めるフ

    アカデミー授賞式で批判を集めた「人種差別」疑惑、本当は何が起こったのか…エマ・ストーン、ロバート・ダウニー・Jrそれぞれの授与シーンを整理 | 文春オンライン
  • 「芸人界はどうしても男社会なので…」M-1準優勝・ヤーレンズが先輩女性芸人から学んだ「大切なこと」 | 文春オンライン

    楢原 おめでとうございます……うーむ。 出井 ひとまずありがとうございます(笑)。 ――でも我々的には「やっと会えたね」という感じです。 楢原 辻仁成がミポリンに会った時みたいな気持ちですね。 出井 どんな感じ(笑)。 ――決勝前からインタビューオファーしておりました。当は一昨年にしたかったくらい。 出井 えー、当ですか。うれしい。 ――……今「文春オンライン」のオファーを受けていただけて、こちらこそうれしいです。 楢原 なに握ってるんですか?? 出井 僕らからコメントはないです! 何も知らない! 楢原 松さんにはM-1でしか会ったことないから!! ――M-1決勝放送終了前に山田邦子さんが「(ヤーレンズは)今までどこにいたのよ?」とおっしゃっていましたが、どこにいたんですか? 楢原 ずっといたんですけどね。 ©深野未季/文藝春秋 出井 いたんですよね。 楢原 ここにいるよ状態で。 出

    「芸人界はどうしても男社会なので…」M-1準優勝・ヤーレンズが先輩女性芸人から学んだ「大切なこと」 | 文春オンライン
  • 731部隊、朝鮮人虐殺…不都合な歴史を「なかったことにしたい人たち」に感じた“怖さ” | 文春オンライン

    あったことを無かったことにしたい人たちがいる。そんな怖さを感じた記事がこの夏にいくつかありました。 まずは「731部隊」についての企画記事を紹介します。信濃毎日新聞の「戦後78年 731部隊の記憶」です(8月11日~17日)。 第1回の記事は『県内元少年隊員2人にネット上で中傷の声 命懸けの証言「嘘」呼ばわり』。 戦時中、満州で細菌兵器開発や人体実験などの残虐行為を実行した731部隊について元隊員が命懸けで証言したら、ネットで「このジジイ、嘘ついてやがる。か、実在しない人物だな」などの誹謗中傷が少なくなかったという。 国の姿勢に「まだ隠そうとするのか」と疑問 731部隊の「少年隊」に入隊した清水英男さん(93)は、人体実験で犠牲になった捕虜や、故郷から遠く離れた地で亡くなった仲間のために「命を懸けて証言している」と語る。 同じく元隊員の須永鬼久太さん(95)は部隊の撤退時に上官から「公職に

    731部隊、朝鮮人虐殺…不都合な歴史を「なかったことにしたい人たち」に感じた“怖さ” | 文春オンライン
  • 「“消えたい”という気持ちがなくならない」脱退後、うつを告白…最上もが(34)が明かす、アイドル時代の過酷すぎた裏側 | 文春オンライン

    脱退後、「消えたい」という願望が ――初フォトエッセイ『も学』の中では、ご自身の気質やメンタルの不調について多くページを割いていました。アイドルとして活動する中で、心の健康は大きなテーマだったのでしょうか。 最上もがさん(以降、最上) アイドルになってから「自分は健康だな」と思えたことが一度もなくて。 仕事を始めた当初は、多忙で疲れてはいたものの、心は病んでいなかったんですが、2014年頃から壊れ始めて、そこから脱退するまでの3年間が私にとっては大変でした。脱退後はズタボロの自分だけが残って「うつ」になっていました。 ――エッセイでは、「うつ」の治療についても書かれていましたが、治療を開始した経緯は。 最上 脱退した後、なぜこんなにつらいんだろうとか、なぜ笑えなくなってしまったんだろうって。今の嫌いな自分から、どうにかして好きな自分になりたいけど、「消えたい」という願望が全然なくならなかっ

    「“消えたい”という気持ちがなくならない」脱退後、うつを告白…最上もが(34)が明かす、アイドル時代の過酷すぎた裏側 | 文春オンライン
  • 「言われてみれば、確かに不思議だなあ」地元住民も存在意義を知らない“森の中の謎ロータリー”…現地を訪れて“歴史の真相”を探ってみた | 文春オンライン

    ◆◆◆ 「謎のロータリーがあるから調べてほしい」 気になった私は、現地に向かった。 三重県いなべ市の青川沿いの道を走る。この時、テレビ番組の撮影スタッフも同行していた。経緯を簡単に説明すると、東海地区を放送エリアとするCBCテレビで昨年春から『道との遭遇』という番組の放映が始まった。毎週、歩道と車道のことしか扱わないという超ニッチな番組だ。 その番組に私は道マニアとして出演しており、スタッフに「とても気になっている道がある」と話したところ、「じゃあ次のロケで行きましょう」という話になった。このロータリーの存在を知ったのも、実は番組の視聴者から私に「謎のロータリーがあるから調べてほしい」と連絡があったからだ。 そんな訳で、テレビの撮影スタッフも連れて現地に向かっていた。

    「言われてみれば、確かに不思議だなあ」地元住民も存在意義を知らない“森の中の謎ロータリー”…現地を訪れて“歴史の真相”を探ってみた | 文春オンライン
  • 「私はみんなより1年出遅れている」日本最大級の大学スポーツ紙「早スポ」初の女性編集長が語る劣等感と“女子としての生存戦略”《61代目まではすべて男性》 | 文春オンライン

    最大級の大学スポーツ紙である「早稲田スポーツ新聞」、通称「早スポ」。年に12回刊行され、箱根駅伝や大学ラグビーなど人気競技を扱う号は1万部以上を発行する“一大メディア”である。 早スポを発行するサークル「早稲田スポーツ新聞会」は1959年の発足以来60年以上の歴史を持つが、初代から61代目まで編集長はすべて男性が務めていた。 その伝統が更新されたのは、2021年8月のこと。サークル内の選挙で人間科学部の高橋さくらさんが最多得票を集め、女性として初めて編集長に就任したのだ。 いわゆる大手の「スポーツ新聞」で、トップどころかその下のデスクレベルにすら女性が就任したという話はほとんど聞いたことがない。スポーツも新聞もそれほど“古いカルチャー”が強い世界だが、なぜ早スポには女性編集長が誕生する土壌が育まれていたのだろうか。そして高橋さんはどうやって「初」の壁を乗り越えたのか――。 ◆ ◆ ◆

    「私はみんなより1年出遅れている」日本最大級の大学スポーツ紙「早スポ」初の女性編集長が語る劣等感と“女子としての生存戦略”《61代目まではすべて男性》 | 文春オンライン
  • 日本語に訳すと「ぶっ殺せ」…アントニオ猪木の永遠のテーマ「イノキ、ボンバイエ!」はいかにして生まれたのか | 文春オンライン

    どんな音楽のジャンルにも時代を超越する一曲、アンセムがある。スポーツ、特に格闘技関連のアンセムは数多くあるが、プロレスを象徴する一曲といえば先日亡くなったアントニオ猪木のテーマソング『炎のファイター』だろう。“イノキ、ボンバイエ!”のチャントが繰り返されるイントロが流れ、“ファイッ! ファイッ!”と猪木の肉声で連呼されれば誰もが血湧き肉躍る。 “イノキ、ボンバイエ”はのちの格闘技イベントの名称(INOKI BOM-BA-YE)にもなるなど猪木を象徴するフレーズだが、そもそも“ボンバイエ”とはどんな意味を持つのか。語源をさかのぼると、この曲の深いルーツが見えてくる。

    日本語に訳すと「ぶっ殺せ」…アントニオ猪木の永遠のテーマ「イノキ、ボンバイエ!」はいかにして生まれたのか | 文春オンライン
  • アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン

    アントニオ猪木が亡くなった。 新聞各紙は猪木の死をどう報じたのか。実はこれ、プロレスファン&猪木ファンにとっては大切な読み比べ案件なのです。猪木にとって一般紙でどう書かれるかは人生の闘いでもあったからだ(※少年時代から呼んでいた「猪木」と、敬称略で書かせていただきます)。 たとえば、 《現役時代は「怒り」を戦うエネルギーに替えた。》(日刊スポーツ10月2日) それはなぜか。かつて猪木は言っていた。 《一般紙はプロレスをいっさい掲載しなかった。他のスポーツと差別され、世間も色眼鏡で見た。「すし店で“プロレスは八百長だから”と話していた客をたたき出した。そんな世間の目とも戦ってきた」》(同前) 「世間」の偏見に対して怒り、エネルギーを燃やした猪木。でも一方で、猪木ほど「世間」を求め、「世間」から慕われた人間もいなかった。ここが世間の関心を渇望せずとも、自然と注目を集めた他のスーパースター、たと

    アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン
  • 安倍元首相死去、新聞各紙はどう報じたか「『敵』と決めると手厳しいが、『味方』と認めると…」 | 文春オンライン

    私はここ10年程の新聞をよく「安倍スタジアム」とたとえました。新聞が二分してホーム側とビジター側にきれいに分かれていたように見えたからだ。野球の試合は座る席によって見え方が違うように、新聞にも違いがある。だから面白い。 街頭演説だってそう。同じ党の政治家でも主張が違うから面白い。「なるほどそういう考え方か」と納得できることもあるし、ギョッとすることもある。それもこれも政治家がちゃんと言葉を発するからだ。私が選挙戦はフェスであると考えるのも、いろんな人やいろんな考えを目の前で次々と見聞きすることができるから。そういう「楽しみ」を奪う人がいることに呆然とした。

    安倍元首相死去、新聞各紙はどう報じたか「『敵』と決めると手厳しいが、『味方』と認めると…」 | 文春オンライン
  • 「演出家としては限界だった」フジテレビ電撃退社の明松功氏が“なぜ君”大島新監督に明かした“めちゃイケ”でブチ当たった厚い壁 | 文春オンライン

    業界を騒然とさせたフジテレビ社員大量退職のニュース。「ネクストキャリア支援希望退職制度」という名称で、昨年11月に「勤続10年以上、50歳以上」を対象に退職者を募ったところ、約100人が手を挙げたことが報じられた。中にはフジテレビの黄金期を築いた有名社員や人気アナウンサーも複数含まれていた。 そのひとりが、明松功氏(51)だ。2018年に終了した名物バラエティ「めちゃ×2イケてるッ!」のプロデューサーだった。恰幅のよさと独得のキャラクターで、自ら出演する“ガリタ堂”などの人気コーナーも手掛けた名物テレビマンだ。 「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで1980年代に一世を風靡したフジテレビ。その王道を継いできた明松氏の退社は、フジテレビに限らず、テレビ業界の現状を象徴する“事件”だ。明松氏はなぜ退社という決断をしたのか。彼はどこに行こうとしているのか――。映画「なぜ君は総

    「演出家としては限界だった」フジテレビ電撃退社の明松功氏が“なぜ君”大島新監督に明かした“めちゃイケ”でブチ当たった厚い壁 | 文春オンライン
  • 「バイト辞めて生活できるようになったのは40越えてから」51歳の芸人が好きなことを仕事にできた理由 | 文春オンライン

    ◆ ◆ ◆ 時事ネタ芸人を目指していたのか? ――文春オンラインでの新聞読み比べコラムも連載6年目。プチ鹿島さんはスポーツ紙、夕刊紙を含め14紙を購読しているんですよね。毎日、目を通すルーティンに苦しくなることはないですか。 鹿島 もう「たしなみ」の域ですからね。1紙だけ読んでいるより楽というか、やっぱり楽しいんです。電子版で読むものもありますが、毎朝、ポストに入りきらない新聞がドサっと置き配されていくのにも慣れました。午前中に2時間、見出しや記事の切り口を読み比べる時間を取っているんですが、1紙を隅から隅まで読むよりも疲れないし、興味のあるニュースについての土台ができていく感じがします。 ――今や「時事芸人」という肩書きでの活躍をされていますが、もともと時事ネタをやる芸人を目指していたんでしょうか。 鹿島 いえ、コンビ時代にオチで時事ネタっぽいものを使うこともありましたが、基的には堪能

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  • レギュラー13本を捨てて結婚、夫は「俺の年収を超えるな」と…上沼恵美子(67)が語る、理不尽すぎた“結婚生活” | 女芸人の今 | 文春オンライン

    今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。 ◆ この「女芸人の今」連載で、たくさんの女性芸人にインタビューをしてきた。芸風や年代に関わらず、女性芸人が女性芸人を語る時、必ず出てくる「上沼恵美子」という名。 かつての女天才漫才師は、レギュラー13をあっさり捨てて関西テレビ社員だった夫と結婚、そして出産。なにわのヤング主婦としてタレント業を始め、いつしか「西の女帝」と呼ばれるようになった上沼恵

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  • 巨人のユニホームを着て気のないスイングで三振…中田翔が悲しくてたまらなかった | 文春オンライン

    当はもう中田翔について書かないつもりだった。彼はもうファイターズの選手ではない。僕の夢から出て行った存在だ。球界を揺るがした暴行事件も不可解な無償トレードも、何かずっと遠い出来事のようになってしまった。せっかく「新庄ビッグボス」就任で空気がガラッと変わったのだ。今さら蒸し返してモヤッとした気持ちになることはない。何より僕は少々傷ついていた。中田翔の名前を聞くのがつらい。中田翔の姿を見るのがつらい。 あれは中田翔ではなく「あと1人」という名の選手だった だけど、見てしまった。11月12日、金曜の夜。僕は当はNHK‐BSでパ・リーグのほうのCSファイナルを見ていたのだった。京セラドームは8回裏、走者を置いてオリックスの4番・杉裕太郎という見せ場だった。そこへ野球好きの仲間からLINEメッセージが入った。 「神宮9回2死、代打中田です!」 ぞわあっとした。BSフジにスイッチする。中田翔が打

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  • ハロプロの12人組「BEYOOOOONDS」が凄い…! 歌と演技で“時代”を魅せるアイドルの進化系 | 文春オンライン

    10月1日、2か月半も続いた緊急事態宣言が明けた。長かった……。SFの世界か悪夢の中にいるような日々。感染への恐怖はもちろんだが、閉鎖感で心が死ぬかと思った。 私はこの期間、アイドルの動画に当にお世話になった。つくづく思う。アイドルとは生命力の塊だ、と。蒼々しい若さ、そして迸るエネルギー。自分の美しさや魅力を自覚し(もしくは模索し)ながら、観ているこちらに元気を届けてくれる。なんと眩しいことか! 令和元年にデビューしたハロプロの新星 その中でも、特に繰り返し観たのがBEYOOOOONDS(びよーんず)の動画である。令和元年にハロプロからデビューした12人のグループアイドルだ。デビューから1周年、さあこれからというときコロナ禍に突入。アニバーサリーライブが中止になる不運にぶち当たった。

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  • 《新型コロナ感染》石原伸晃議員が見せた「リアル格差」で気づいた事実 日本政界の中心は“伸晃”にあった! | 文春オンライン

    体調が安定したということで何より。しかし今回石原の入院が話題になったのは「入院できずに亡くなる人が相次ぐ中で、無症状なのになぜ」(東京新聞「こちら特報部」1月28日)という点もあった。 《医療は来こうあってほしいもの。(略)この際だから、「伸晃基準」をどうすれば全国民に広げることができるのか考えた。》(東京・同) コロナに感染するのは仕方ない。しかし人によって対処の格差が生じてはいけない。石原伸晃は身をもって論点を示したのだ。またしても…。 伸晃氏が果たしてきた「役割」とは そう書くのは石原伸晃の政治家としてのキャリアを見ると「自分では思ってもみなかったであろう役割」を果たす繰り返しなのである。ちょっと凄すぎるので振り返ってみる。 まず安倍晋三が勝利した2012年の自民党総裁選。今では多くの人が忘れているかもしれないが当初の命は石原伸晃だった。しかし失言の連発などで失速。2位にもなれな

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  • 『鬼滅の刃』を“オヤジジャーナル”はどう報じたか? 宮崎美子に山口百恵、健康コーナーに日本シリーズまで | 文春オンライン

    おじさんが使い始めることで言葉の輝きは大団円を迎える。 たとえば「インスタ映え」はオヤジジャーナルで紹介されはじめ、まもなく死にました。各紙そろって「若い女性は自撮り目的でナイトプールで泳がないのか!」と驚いていた時点でピークを迎えた。今から3年前の夏でした。 『鬼滅の刃』は単なる流行語ではなく社会現象と言っていい。なら、オヤジジャーナルにどう浸透していったのかを追うだけでまさに流行の「流れ」がわかるはず。 タブロイド紙流「鬼滅の刃」のいじり方 ではおじさんが大好きなタブロイド紙から振り返ろう。 『「鬼滅の刃」が日経済を救う?』(夕刊フジ10月21日付) 夕刊フジの反応は比較的早かった。映画が公開されて3日間で興行収入46億円を突破したことで日経済の話にさっそくシフトしている。王道の反応である。 続いては日刊ゲンダイ。10月29日付の紙面に、 『オジサンには理解不能 鬼滅の刃 女性支持

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  • 「アイドルだけど目が小さいのがコンプレックスだった…」20歳元アイドルの私が抱えた葛藤 | 文春オンライン

    2010年ごろからアイドル戦国時代と称されるようになり、ももいろクローバーZやでんぱ組.incがブレイクしたが、14年5月に「音楽好き」の心を掴むグループが誕生する。ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)が手掛けたアイドルネッサンスだ。 アイドルネッサンスはBase Ball Bear『17才』を皮切りに、原田真二からKANA-BOONまで、今の楽曲を歌とダンスでカバーする「名曲ルネッサンス」をテーマに活動すると、ファンたちは自分の青春時代と重ね合わせて熱狂した。 しかし、ブレイクスルーできなかったことなどを理由に、18年2月にアイドルネッサンスは解散してしまう。現在はそれぞれの道に進んでいるが、その中で、ソロアーティストとして活動している南端まいな(20歳)に「あの頃」を聞いた。(全2回の1回目/#2へ続く) ◆◆◆ 「チャゲ&飛鳥さんや広瀬香美さんが好きでした」 ――アイドルネッサ

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  • 「4年活動したアイドルが解散する“きっかけ”とは?」就活か、歌か…20歳元アイドルの選択 | 文春オンライン

    真っ白な衣装とカバー曲を軸にした活動でアイドル戦国時代に新しい風を吹き込んだアイドルネッサンス。しかし、2018年2月24日に横浜ベイホールで行われたライブで解散を迎えてしまう。 解散後、南端まいなはソロアーティストとして活動を開始。18年8月には『センチメートル』を配信限定でリリースし、昨年夏にはドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS)に出演した。 着実に歩みを進めている彼女にグループ時代といまの違いを語ってもらった。(全2回の2回目/#1から続く) ◆◆◆ 他のアイドルグループの「お友達は全然できなかった(笑)」 ――いわゆるアイドル戦国時代でしたが、他のグループは意識していましたか? 南端 TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)のメインステージ争奪戦みたいな、グループ同士が競って1位を決める時はライバル意識があったけど、常にそうだったわけじゃないです。アイドルネッサンスのコン

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  • 14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? | 文春オンライン

    シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリスト、安田純平さんが解放された。 すると、またしても自己責任論が噴出した。おかえりなさい、安田さん。おかえりなさい、自己責任論。 「自己責任」という言葉が流行語大賞のトップテン入りしたのは2004年である。イラクで拘束された日人3人に対して投げかけられたのだ。 あのとき、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? 特筆すべきは(あのときは)小泉純一郎首相や首相周辺、つまり国のトップたちほど「自己責任」を声高に問うていたことだ。あそこから時代が変わったんじゃないか? と思うほど。

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