「反復史観」から「成長史観」へ 私が子供のころ農山村にいくと、植林をしている年配の村人を見かけたものである。植林は治山治水のためであるが、当時は大きな木が建材としてよい値で売れ、現金収入の少ない農山村を潤すものだったからである。しかし、植林した木が大きくなるころに作業をしている人は、もうこの世にはいない。だから自分たちのためではない。もっぱら子孫の世代のための作業だった。 こうした作業に黙々と従事できたのは、高度経済成長がまだ人々の生活に浸透していない時代の農山村民だったからだろう。彼らの過去・現在・未来の時間(歴史)意識に、日の下に新しきものはなしの「反復・円環史観」が残っていたからである。自分たちが利便を得たのと同じものを子孫にも残さなければならないとなった。 近代は目覚ましい技術革新による工業化社会である。経済の高度成長期には農山村民が減り、反復・円環史観は昔日の人々の歴史意識となる