江戸初期の1637年から翌春にかけ、原城(現在の長崎県南島原市)を主戦場に起こった「島原・天草一揆(島原の乱)」。鎮圧にあたった幕府軍で、九州各藩お抱えの忍者たちが諜報(ちょうほう)をはじめ重要な役割を果たしたことが、近年の研究で明らかになってきた。(谷村卓哉) 益田(天草)四郎時貞を盟主とする一揆勢を前に、幕府軍は当初、総大将板倉重昌が討ち死にするなど大苦戦した。代わって総大将となった老中松平信綱は、九州全土の大名を動員。一揆勢が立てこもる原城に総攻撃をかけた。その際、信綱が江戸から戦地へ向かう途中の甲賀水口(現在の滋賀県甲賀市)で軍に迎えた忍者十人が諜報などに従事したとされるが、九州諸藩...