デモが単なる「自己啓発の場」になっている わしは団塊の世代よりもひとつ下の世代だから、全共闘の運動が最後は内ゲバの殺し合いになり、ボロボロになって雲散霧消していく様子を批判的に見ていた。あの学生運動がそうなったのも、それぞれの「個」が確立されておらず、所属するセクトに埋没してしまい、組織の論理でしか行動できなくなったからだろう。それと同じ問題が、1995年、薬害エイズの「支える会」にも発生した。これは政治運動が抱える宿命のようなものかもしれない。 ところが団塊の世代は、自らそういう総括をしていなかった。自分たちの「個」が確立していないことにも気づいていない。きっと、大学を出た後は社会人として組織に埋没していたのだろう。だからSEALDsの若者たちが安保法制反対デモを始めると、定年退職して組織を離れていたジジイどもが昔を懐かしがってそこに集まってきた。同じことのくり返しである。 薬害エイズの