梅雨の合間の晴れ日が続き、水が澄み切った昨日の鮪立湾。こんな海で盛屋の牡蠣やホタテが育っています。市内の写真家 伊藤和臣さんが撮ってくださった鮪立の風景で、みなさんが気持ちよくこの1週間を始められますように。
噴火が続く小笠原諸島の西之島(東京都小笠原村)について、海上保安庁は16日、新たな火口を確認したと発表した。火山活動の活発さを示すもので、噴煙や赤熱した溶岩を盛んに噴き出しているという。 1カ月前の観測では、新たな陸地部分の中央に三つの火口が南北に並んでいたが、13日の観測で、北側の火口の東約150メートル付近に四つ目の火口が見つかった。赤外線画像では、この新火口から島の東側に大量の溶岩が流れ出し、海面に達している様子が判明。だが悪天候で、島の大きさは測定できなかった。 海保の航空機で観測した東京工業大の野上健治教授は「溶岩の供給は安定的に続いており、極めて活発な活動状態が続いている」との談話を発表した。
「ウナギが食卓から遠のく」「食文化が廃れる」。そう嘆いてばかりもいられない。 国際自然保護連合が漁獲量の減少が著しいニホンウナギを、絶滅の恐れがある生物種のレッドリストに加えた。このままでは国際条約により捕獲や取引が厳しく制限されることになりかねない。 長く資源管理を怠ってきた国の責任は重い。最近になって矢継ぎ早に打ち出している対策を再検証し、より実効性を高める必要がある。市民の側も大量に消費しているウナギの買い方、食べ方を見つめ直す機会にしたい。 ニホンウナギはグアム島近くでふ化し、シラスウナギと呼ばれる稚魚となって川を遡上(そじょう)。親魚に成長してから海に戻り産卵する。国内の稚魚と成魚の漁獲量は近年、最盛期の1960年代後半の1割ほどに減っていた。 東アジアの国や地域がそろって稚魚も成魚も捕るのだから、個体数が減るのは当然だ。 保護管理が重要になる。水産庁は漁獲量が激減した
15日午後、伊平屋村内で大雨の影響とみられる川岸の護岸の崩落や道路陥没が見つかった。本部署によると、同村我喜屋でコンクリート護岸が高さ約2メートル、幅30メートルにわたって川に崩落。同村田名では、田名漁港から北東に伸びる村道で約4キロ先からアスファルトが2カ所陥没、村が交通規制している。けが人はいない。 同署によると、護岸が崩れたのは、伊平屋小学校の約350メートル南にあり東西に流れる我喜屋川で、きび畑の土砂が流れ込んでいる。 道路陥没はパトロール中の警察官が発見。田名漁港の約4キロ先では長さ約7メートル、幅約3メートル、深さ約3メートルの範囲、さらに約250メートル先で長さ15メートル、幅4メートル、深さ6メートルの範囲が崩れている。 地元住民によると「漁師たちが『大雨で山から赤土が流れ海が真っ赤になっている』と騒いでいた」という。真栄田孝消防団長は「午前10時ごろから大雨で、午後に入っ
漁船に雷が落ち、乗組員が意識不明の重体 青森・深浦町 フジテレビ系(FNN) 6月16日(月)17時14分配信 週明けの日本列島は、特に北日本で不安定な空模様となっている。 青森では16日、上空に寒気が流れ込んだため、大気が不安定な状況となり、局地的に強い雨雲が発生した。 青森市内では、正午ごろの1時間の雨量が、12.5mmと強い雨が降った。 また、青森・深浦町の北金ヶ沢漁港の沖合、およそ3km付近で操業していた漁船に雷が落ち、乗組員の古川聖一さん(46)が、意識不明の重体となっている。 地元の漁師は「(今まで漁船に雷が落ちたことは?)ないない。覚えている限りではない」と話した。 今後も大気が不安定な状況が続くので、北日本を中心に17日にかけて、急な強い雨や落雷、突風に警戒が必要となっている。
3年に1度の例大祭が江戸三大祭りの一つに数えられる富岡八幡宮。その門前である門前仲町は祭りの街だ。今年は例大祭の年、8月17日には50基以上の神輿(みこし)を動かす。目玉行事の「神輿連合渡御」を仕切る神輿総代連合会の高橋富雄会長は、68歳の深川っ子だ。総勢2万5000人に及ぶ神輿の担ぎ手を率いる。 ■マンション族、神輿を担ぐ 今年は前回を上回る30万人以上の人出を目指し、関係者の緊張感も高まっている。そんななか、高橋会長が熱い期待を寄せるのがマンションの新住人だ。「今やマンション族なしに祭りは語れない」 深川っ子だけでは担ぎ手が足りない事情もあるが、それだけではない。東日本大震災以降、地域とつながりを求めるマンション住人が増えたのだ。高橋会長が住む三好三・四丁目町会では担ぎ手の半数近くがマンション族。なかにはリーダー的な役割も果たすようになった人もいる。 その1人、食品会社営業マンの堀端大
日本政策金融公庫は2013年度に、農林水産事業の再生可能エネルギー関連融資を121カ所に実施。総額は126億円だった。 同融資は、農林漁業経営の改善やバイオマス資源の利活用、環境負荷の軽減を目的とした再生可能エネルギー発電施設の建設を支援するもの。集計したのは13年度が初めて。 融資先ベースでエネルギー別にみると、太陽光発電が79.3%と大半を占める。次に多かったのが、間伐材や家畜排泄(はいせつ)物などの有機物を利用したバイオマス発電で14.1%。このほかは水力と地中熱だった。 業種別では、酪農が全体の4分の1を占めた。畜舎の屋根に太陽光パネルを設置することで畜舎内の遮熱効果を得て、夏場に乳牛の生乳生産量の低下を防ぐといった副次的効果を狙った事業もあった。 地域別では、九州が38%で第1位。46カ所に融資したが、実に45カ所が太陽光発電施設。九州は全国的に日射量が多く、畜産業の盛んな地域で
北方四島の元住民ら63人が今月上旬、今年2回目のビザなし訪問で色丹島を訪れた。消防署など新しい施設もできているが、道路の多くは未舗装のままで、朽ちた家も目立つ。島に住むロシア人からは返還に前向きな声が聞かれた。開発が進み、返還反対派が多いとされる択捉、国後両島との違いが際だつ。 7、8の両日に色丹島を訪問した訪問団の一員として、記者も島を訪れた。 訪問団を乗せたビザなし交流専用船「えとぴりか」が入った色丹島の穴澗(あなま)港。停泊中の漁船は1隻だけ、近くの岸辺には、さびだらけの漁船が何隻も放置されていた。港からは廃屋になった家屋も見られた。日本漁船が拿捕(だほ)された時に船員が収容された建物も窓ガラスはなく、壁もぼろぼろだ。
半島振興法、延長を 青森県が要請活動本格化 10年間の時限立法として1985年に制定され、2度の延長を経て本年度末に期限を迎える半島振興法の3度目の延長に向けて、青森県が国への要請活動を本格化させている。半島地域の社会資本整備は遅れ気味で、人口減少や高齢化も進んでいることから、活性化のための支援継続は必要だと訴えている。 県内では津軽(2市5町1村)、下北(1市4町4村)の2カ所が半島振興対策実施地域に指定されている。県は法に基づき、各地域の振興計画を策定し、生活環境の整備、地域産業の育成といった各種事業に取り組んできた。 国は支援策として(1)重要な道路・施設の整備を促進するための財政上の措置(2)企業活力強化貸付制度による金融上の措置(3)企業誘致、所得水準向上のための税制上の措置-を講じている。 県は「三方を海に囲まれ、平地に乏しい半島地域の特性や実情を踏まえた対策が必要」(地
贅(ぜい)を極めた逸品が出来上がった。気仙沼寿司(すし)組合が高級食材のフカヒレをたっぷり使った「気仙沼ふかひれ丼」を作り、加盟14店で提供を始めた。丼いっぱいに敷き詰められた手のひら大のフカヒレ姿煮は、和風だしで味付けされ、黄金色の輝きがまぶしい ▼「サメの水揚げ日本一を誇る地元の名物料理に」と2010年夏に売り出されたが、東日本大震災で大方の店が被災し、提供は中断されていた。津波にのまれたすし職人もおり、組合長の清水直喜さんは「天国に行った仲間のためにも復活させたかった」▼清水さんの店も流失した。店をなくしたすし職人と共に「流され寿司 握り屋衆」を結成、全国各地のイベントを回ってすしを握り続けた。「店は流されても腕は流されていない。全国に恩返ししたい」と始めた握りの出張実演会だった ▼震災から3年3カ月がたち、廃業した店を除いて全加盟店がようやく再開にこぎ着けた。「みんながそろった
「水俣の思いが三陸に届いてほしい」と話す水中写真家、尾崎たまきさん=東京都調布市で2014年6月13日、平野美紀撮影 「死の海」から再生した熊本県水俣湾を約20年前から撮り続ける水中写真家、尾崎たまきさん(43)の作品展「海と生きる−−水俣から三陸へ」が、東京都調布市小島町の調布市文化会館で開かれている。水俣と三陸は、水俣病と東日本大震災と条件は異なるものの、ともに過酷な環境に置かれてきた。写真からは、故郷の海に希望を見いだそうとする住民の思いや、海の生きものの生命力の強さが伝わってくる。 尾崎さんは熊本市生まれで、川崎市在住。水俣病の原因となった有機水銀が工場から垂れ流され、一度は「死の海」となった水俣湾に1995年から潜り、水中だけでなく、海で糧を得る水俣病患者の漁師たちをカメラに収めてきた。2000年から11年間、水中写真家の中村征夫さんの下で研さんを積み、2011年からフリーで活動
マンボウやサメが海藻を縫って泳ぎ、カモメが空を渡る-。色鮮やかな三陸の生き物たちが、手作り雑貨の中で息づく。 宮城県仙沼市八日町の工房「石垣島の雑貨屋さん gruppo」にはスマートフォンのカバーやカメラストラップ、トートバッグなどの雑貨が並ぶ。沖縄伝統の染め物「紅型(びんがた)」デザインの「気仙沼の海の生きものたち」シリーズだ。 沖縄県石垣島で雑貨店を営んでいた気仙沼市出身の浜田扶美さん(47)が、東日本大震災をきっかけに古里に帰り、ことし1月に工房を構えた。 再スタートの第一歩となったのが今回のシリーズ。紅型作家にデザインを依頼したオリジナルの布地を使って、浜田さんのほか石垣島と気仙沼市内の縫い子たちが作る。 浜田さんは「三陸の海に輝きを取り戻してもらいたい。全国の人には被災地を忘れないでほしい」と願う。明るく元気な雑貨には、古里への思いが込められている。気仙沼市内の仮設商店街
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