空襲の被害データ 空襲を受けた年月日 1945/7/10 来襲した軍用機の種類 B-29 123機 空襲で亡くなった人の数 1,000人以上 宮城県仙台市は、太平洋戦争当時で人口が30万人、東京以北で最大の都市でした。東北帝国大学、旧制二高など高等教育機関があり「学都仙台」と呼ばれ、同時に陸軍第二師団がおかれ「軍都」でもありました。そうした東北の中心都市でありながら、東京や横浜、大阪、神戸などの大都市が次々に空襲の被害が続く中、7月の初旬まで艦載機による散発的な銃爆撃があるだけでした。 しかし、7月10日午前0時、突如123機のB-29の編隊が襲いかかりました。目標は市街地と住宅街を標的にした無差別爆撃でした。2時間にわたって1万発以上の焼夷弾が投下され、市街地のほとんどが炎に包まれました。空襲が始まったとき街は寝静まっており、突然の空襲警報に避難は間に合わず、人々は自宅や近隣の小規模な防