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小説と、宗教と。 - オオカミの遠吠え通信
「海外の小説は苦手だ」と話していたのは、中学時代の恩師だった。 「根底に宗教があるから、信仰心を持... 「海外の小説は苦手だ」と話していたのは、中学時代の恩師だった。 「根底に宗教があるから、信仰心を持たない自分には理解しがたい点が多々あり、自然と遠ざけていた」とも。 当時の私は幼すぎて、恩師の言葉が理解出来なかった。 海外文学との接点が皆無に近かったこともあり、「(小説を楽しむのに)何故信仰が必要なんだろう?」と不思議に思っていたのだ。 ところが、いざ「カラマーゾフの兄弟」を読み進めると、作品のあちらこちらに信仰にまつわる“複雑な思い”が漂ってくる。 正直ドストエフスキーがどの程度の信仰を持っていたのか定かではないし、今の時点ではそこまで知らなくても十分だと思っている。 とはいえ、恐らく全編を貫いているであろうキリスト教の思想(この場合はロシア正教会の思想と考えるべきだろうか?)には閉口するし、何もここまで…と思う気持ちは強い。 キリスト教とて「信仰の名の下において」殺戮を繰