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アホ理系青年の主張 リバイバル : 自称・非オタク青年のオタク観から、例のパフォーマンスをどう見るか
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アホ理系青年の主張 リバイバル : 自称・非オタク青年のオタク観から、例のパフォーマンスをどう見るか
2008年03月20日10:14 自称・非オタク青年のオタク観から、例のパフォーマンスをどう見るか カテゴリオピ... 2008年03月20日10:14 自称・非オタク青年のオタク観から、例のパフォーマンスをどう見るか カテゴリオピニオン オタク=自分の趣味に対して労力を惜しまない人、その覚悟がある人。これが私のオタク観。 趣味があるという人は、もちろんいっぱいいる。私だって、趣味は何ですかと聞かれれば、ブログですと答えるだろう。でも、それは余暇がある中での趣味である。暇だからブログと作ってますという立場である。 でもオタクはそういう立場とは異なるだろう。余暇があるから趣味を作たというのがきっかけだとしても、そのスタンスは逆転している。趣味があるからそのための余暇を作り出そうとする。趣味の時間を作り出そうという労力が見えてくる。 例えば、この間の、某寝台特急の運転が今日で終わりというとき、その最後の勇姿を見るためにわざわざその場にやってきて感慨にふける人々が多かったという話。彼ら、彼女らは、余暇という名目で