エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」 : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
2006年11月11日04:28 カテゴリ仕事書籍 「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」 『KINO vol.2 思考と... 2006年11月11日04:28 カテゴリ仕事書籍 「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」 『KINO vol.2 思考としての『ガンダム』』に寄稿した原稿です。 「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」 「われわれ」と「ぼく」 その時には意味がわからなくても、後になってその本当の意味がわかることになる。たとえば『機動戦士ガンダム』の何がリアルだったか、ということ。 『ガンダム』放送当時、かすかなひっかかりを感じたことを覚えている。それは主人公アムロが“同僚”であるホワイトベース・クルーの幾人かを「さん」付けで呼んでいたことだ。ささいなことに思う人もいるかもしれないが、「ロボットアニメの主人公」が仲間を「さんづけ」で呼ぶなんて、ずいぶんとよそよそしい感じがしたのだ。 それは、従来のロボットアニメと比べても微細な差ではあった(かに思えた)。それに『ガンダム』にはもっと特徴的な差がたくさんあ