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歴史REALWEB : 第8回 植田謙吉とチョイバルサン
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2015年01月06日10:16 by rekishireal 第8回 植田謙吉とチョイバルサン カテゴリライバルで読み解く東... 2015年01月06日10:16 by rekishireal 第8回 植田謙吉とチョイバルサン カテゴリライバルで読み解く東アジア近代史 ノモンハンで激突した両者 1939年(昭和14)5月から9月にかけて、満洲国西部のモンゴル人民共和国との国境地帯で関東軍・満洲国軍と蒙ソ連合軍が激しい戦闘を展開した。双方ともに正規軍を動員しての戦車・航空機が戦場を飛び交う近代戦であった。砂漠の戦場であるがゆえに、両軍ともにモンゴル兵が重要な役割を演じたことはいうまでもない。 戦闘の発端は5月、モンゴル兵数十名が満洲国側の主張する国境線であるハルハ河を渡った草原地帯に進出したことで満洲国軍との間で交戦が行われたことだった。これまでも満蒙国境をめぐり小規模の戦闘はたびたび行われていたため、この程度のものなら満洲国軍の国境守備隊に任せよというモンゴル系の満洲国軍人で現地を担当していた第10管区司令官烏爾金(