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小津安二郎断想(8)「コミュニケーションの深度」 - 内田樹の研究室
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小津安二郎断想(8)「コミュニケーションの深度」 - 内田樹の研究室
『お早よう』に付したもの。 『お早よう』は私にとって懐かしい映画である。それが私の生まれた街を舞台... 『お早よう』に付したもの。 『お早よう』は私にとって懐かしい映画である。それが私の生まれた街を舞台にしているからである。実と勇の兄弟が登下校のために歩く多摩川の土手は、私が毎朝犬と散歩した道であり、家出した二人が手づかみで飯を食べるその階段で、私も凧揚げをし、草滑りをして遊んだ。 この街は戦前戦中軍需産業で栄え、それゆえ空襲で徹底的に破壊された。その焼け跡に戦後になって地方出身者が流れ込んだ。私の両親も、近所の人々もそうだった。だから、この街には守るべき祭りも、古老からの言い伝えも、郷土料理も、方言もなかった。 『お早よう』の住民たちもまたそれぞれの出自の徴を残したまま、偶然に導かれてここに集住している。共同体らしきものは「婦人会」しかないが、それは地域の連帯を深める上で機能しているようには見えない。男たちはときおり近所の居酒屋で出会うが、話題は弾まない。わずかな行き違いから隣家との間に深