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明治の新聞⑧〜政論新聞 - 月明飛錫
雑記 | 00:18 | ポイント:明治政府と新聞の蜜月は、長くは続かず、新聞は政府の批判をはじめた。そして... 雑記 | 00:18 | ポイント:明治政府と新聞の蜜月は、長くは続かず、新聞は政府の批判をはじめた。そして、国会を早く開設すべきだと主張する民権派新聞と、政府の立場に同調した官憲派新聞が対立し、論争を繰り広げた。一方政府は、自由民権論を論じる新聞を危険視し、弾圧していった。こうした中で、「不偏不党」を掲げる報道新聞が出てくるようになった。 1.内部リーク 明治政府と新聞の蜜月は、長くは続かなかった。新聞がだんだんと政府を批判しはじめたのだ。 1873年(明治6年)に、井上馨が、辞表と共に出した財政改革意見書(機密書類)が、新聞『日新真事誌』に掲載された。これにより、「歳入が4000万円しかないのに、負債が1億4000万円に達し、償却のめどはまったく立っていない」という明治政府の危機的状況が白日の下にさらされた。 国の信用にかかわる秘密の漏洩にあわてた政府は、すぐに大隈重信の名前で大蔵省か
2010/04/13 リンク