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北村透谷の「事業」 - heuristic ways
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北村透谷の「事業」 - heuristic ways
北村透谷は「事業」という言葉をよく使っている。たとえば「楚囚之詩」(1889年)の「自序」では、こう... 北村透谷は「事業」という言葉をよく使っている。たとえば「楚囚之詩」(1889年)の「自序」では、こういう詩を作るのは「非常の改革、至大艱難(かんなん)の事業」だったと言っている。また、「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」(1893年)では、山路愛山の「文章即ち事業なり」という宣言を取り上げて、その「事業」とはどういう性格のものなのかを論じている。 注目したいのは、「当世文学の潮模様」(1890年)では、「文字の英雄は兵馬の英雄と異なる所なし」と書いているのに対し、「人生に相渉るとは何の謂ぞ」ではむしろ、「文士をして兵馬の英雄に異ならしむる所以(ゆえん)」を強調していること。これは一見矛盾するようだが、よく読むとそうではない。 「戦ふに剣を以てするあり、筆を以てするあり、戦ふ時は必ず敵を認めて戦ふなり、筆を以てすると剣を以てすると、戦ふに於ては相異なるところなし」(「人生に…」)