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深海魚の水槽山本七平『禁忌の聖書学』
聖書がヨーロッパ文学に大きな影響を与えるには、まず聖書自体がヨーロッパ文学の伝統的な形態にならね... 聖書がヨーロッパ文学に大きな影響を与えるには、まず聖書自体がヨーロッパ文学の伝統的な形態にならねばならなかった。ユダヤ教徒とカトリック教徒の聖書の中の分け方は違う。一方は律法・預言・諸書であり、他方は 歴史書・教訓書・預言書である。この律法を歴史にしてしまったのはヨセフスだが、この違いは決定的である。というのは、律法ならばそれは時を越えて遵守すべき永遠なる神の掟だが、歴史ならそれは、過去においてこういう掟があったという記録にすぎない。それは継承もしうるし止揚もできるし、過ぎし日の物語として読むこともできる。そうなれば旧約聖書の歴史書の中の面白い物語は、当然にそれ自体が西欧の物語文学として読まれうるし、また文学・美術の素材となりうる。ユダヤ人も後に旧約聖書を法規と説話に分けた。だが説話は西欧文学とはとは別のジャンルに属する文学形態であり、その文学的発展は、年とともに大きな開きを見せるようにな