エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
DND緊急提言-動け!東日本復興計画:丹下健三氏の『東京計画1960』に学ぶ 出口俊一氏
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
DND緊急提言-動け!東日本復興計画:丹下健三氏の『東京計画1960』に学ぶ 出口俊一氏
DNDメディア局の出口です。私が初めてニューヨークを訪れたのは1987年3月中旬でセントラルパークの木々... DNDメディア局の出口です。私が初めてニューヨークを訪れたのは1987年3月中旬でセントラルパークの木々は凍てついていました。が、もうすぐ緑のパレードが春を呼ぶらしく、心なしか市民の表情に活気がみられました。冬に耐え春を待ついじらしさは米国東海岸の人たちも変わらないのだなあ、と、エキサイティングなこの街に親近感を抱いたものです。 さて、この訪問で忘れがたいことがあります。開業間もないトランプタワーの森のファサードでもなく、ブームの走りで賑わう知人のすし屋のことでもない。また、ニューヨーク・タイムズ紙の1面に友人がエイズで亡くなったというショッキングなニュースや、子供むけのチャットで悪さをする大人退治のサイバーコップ登場という記事のことでもありません。 それは、ニューヨークで聞いた世界的な建築家、丹下健三氏の言葉です。 「建築家は、その時々の都合で仕事をするものではない。都市の未来に責任があ