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判定結果の妥当性と日本のナイーブさ - Nothing Ventured, Nothing Gained.
今日は、話題となっている柔道66キロ級の準々決勝戦について、柔道の素人として、柔道論やスポーツ論... 今日は、話題となっている柔道66キロ級の準々決勝戦について、柔道の素人として、柔道論やスポーツ論ではなく、法制度論(ルール論)・法解釈方法論(ルール解釈方法論)という視点からこの問題を取り上げてみたい。 最初に断っておくが、私の柔道経験は、学生時代の体育教育で嫌々やっていたという程度である。したがって、「柔道を知らない奴が何を言う!」という批判は織り込み済みである。 今回、審判委員(Jury)による介入が今まで以上の行われているという点に、様々な賛否が上がっているのはご存じだろう。 審判委員(Jury)が積極的に介入している理由は、結果の妥当性確保にあり、それが審判委員(Jury)による介入の正当化の最大の根拠である。 司法判決もスポーツの判定も、最も重要視される価値は結果の妥当性ではなかろうか。結果の妥当性に疑問が生じれば、どのような判断であっても、座りごこちが悪いものになってしまう。
2012/08/02 リンク