エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
坂のある非風景 連休あるいは、完結しない連休
やってきた道と同じ道を帰る奇跡を毎日くりかえしていると、まるで奇跡には思えない。なぜ毎日、戻れる... やってきた道と同じ道を帰る奇跡を毎日くりかえしていると、まるで奇跡には思えない。なぜ毎日、戻れる道があるのだろう。きっと何もしなくてもいいためである。何も残さないことが普通であるという奇跡を近代は日常化した。もはや私たちの感性には不自然な日常ではなく大型連休が奇跡のように映しだされている。 被災地で倒壊した自宅跡で捜し物をする番組を見て、母はおもしろくないという理由ですぐにチャンネルを変えようとした。時代劇チャンネルにするように私に呼ぶ。時代劇の予定調和的世界がいまどこにあるのか、母たちの老いた世界の過去にだけある。そして若かりし頃、母がどんな番組を好んでいたか私には思い出せない。 捜し物をする被災者は理解できる。しかしそれを物語として、まるでヤラセのように番組にする意図はまったく理解できない。忘れてはならないと告げているのだろうか。捜し物を捜すのは、そうして見つけることによって喪失を忘れ
2011/05/15 リンク