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商店街物語:久留米・あけぼの編/1 地元の魅力磨き発信 /福岡 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
久留米市の中心市街地、六ツ門町。戦後から県南を代表する商業の中心地として栄えてきた。六ツ門町から... 久留米市の中心市街地、六ツ門町。戦後から県南を代表する商業の中心地として栄えてきた。六ツ門町から東方向の西鉄久留米駅までは、約800メートルにわたって計10の商店街が連なる「ほとめき通り」が延びる。その通りの一角に昭和のたたずまいを残す市内最古の「あけぼの商店街」はある。 「10年前までは人通りが途切れんかったよ。空き店舗が増え出したのは郊外の大型店がオープンして2、3年してからかな」 父から受け継いだ酒店を経営する堀川泰史さん(56)=あけぼの商店街振興組合理事長=は角打ちカウンターの中から通りを見つめながら話した。 あけぼの商店街は戦後間もない1946年、商店街としての組織(組合)を58軒で結成。物が乏しかった時代、六ツ門町は食料品や衣料品などを求める人たちが行き交い、さまざまな商いをする店が集まった。その数は52年に116軒を数えた。 高度経済成長期を経て、バブル経済の88年
2012/01/16 リンク