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2集武田証言
黒焦げで帰ってきた弟 ――武田恵美子さんに聞く―― 武田恵美子さん 生年月日●大正一五年(一... 黒焦げで帰ってきた弟 ――武田恵美子さんに聞く―― 武田恵美子さん 生年月日●大正一五年(一九二六年)二月二七日生まれ (インタビュー時七八歳) 被爆当時●一九歳(家事) 被爆地●爆心地より約一五キロ/広島県安佐郡(現在広島市安北区)亀山村河戸の自宅 私は武田恵美子と申します。大正一五年(一九二六年)二月二七日、広島県安佐郡亀山村河戸で生まれました。旧姓は山中と申します。広島に原爆が落とされた当時は山中恵美子でした。 実家は土木建築をやっていましたけど、失敗しましてね。戦争当時は移動製材という仕事をやっていました。父は本当は木材業なんです。土木建築の頃は、収入はよかったのではないかと思います。土建屋木材業で大きくなっていたんですけど、だんだん戦争がひどくなって縮小され、立ちゆかなくなりました。男性はどんどん兵隊に取られていきましたし、爆撃が近くなって家を建てるどころ
2009/08/07 リンク