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美徳の起源
「ああ、日本民族はなんて悪い民族なんだ。皆さん、反省してよい民族になりましょう。そうしたら他の国... 「ああ、日本民族はなんて悪い民族なんだ。皆さん、反省してよい民族になりましょう。そうしたら他の国もきっと日本によくしてくれますよ。」 これは、ある人が朝日新聞的の思潮・心情を喩えて言ったものだが、むしろ、護憲(護九条)やアジア侵略贖罪の運動に励む人たちの心情を評するにぴったりのものだろう。 そしてこれは、人社会では、美徳に通ずる心情の一つであるには違いない。 しかし国家社会(諸国家を構成単位とする社会)は、人社会(個々人を構成単位とする社会)とは違う。 彼ら運動家は、人社会の美徳の行ないやそれへの報酬を国家社会にも要求・期待するという、理想家的・善人的の誤謬を犯していると思う。 国家社会は未だ、人社会よりは野獣の社会に近い。 腹が空けば牙と爪で他の動物を屠って喰らったり、群れの圧力で獲物を奪ったりする社会である。 ただしそういう行ないは、野獣の社会では、決して悪徳の行ない