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田沼意次の貨幣改革
● 田沼意次の登場 田沼家は、もともと紀州徳川家の家臣でしたが、吉宗が8代将軍となったとき、幕臣と... ● 田沼意次の登場 田沼家は、もともと紀州徳川家の家臣でしたが、吉宗が8代将軍となったとき、幕臣となりました。小納戸頭取300石の家柄です(600石との説もあります)。 意次は、享保19年(1734)吉宗の世子家重付きの小姓となりました。このとき、16歳でした。 家重が9代将軍となると重用され、さらにその子10代将軍家治の明和4年(1767)には側用人に登用され、遠江相良城主2万石(後に5万7千石)の城主となりました。このころから権勢をふるい、後に「田沼時代」といわれるようになりました。 ● 田沼意次の政策 この頃の幕府の財源は、農民からの租税に頼っていました。 田沼意次は、農業一辺倒の重農主義から、商業を盛んにし、商人からも税金をとる重商主義政策を進めました。 問屋・株仲間の育成強化、商品作物の栽培奨励、蝦夷地の開発計画、外国貿易の奨励、印旛沼の開拓、銅座などの専売制の実施