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「社会する」現実と「場所する」現実:現実性は、どこにあるか。 | ホスピタリティの場所【山本哲士公式ブログ】hospitality/place/capital
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「社会する」現実と「場所する」現実:現実性は、どこにあるか。 | ホスピタリティの場所【山本哲士公式ブログ】hospitality/place/capital
JUGEMテーマ:学問・学校 「社会する」現実は8,9割で、場所する現実は、2,3割、後者はまだ理念でし... JUGEMテーマ:学問・学校 「社会する」現実は8,9割で、場所する現実は、2,3割、後者はまだ理念でしかないなどという認識は、根源から物事を見誤っていく。 いま、「地域」から、「地域のために」、など「地域」が国よりも重視されつつも、国が決定をにぎっているという現実が支配的である、という事態に、それは対応している。地域主導は理念であって、現実は中央がにぎっている、という認識だ。大きな枠の方が、優位で、小さい枠は、従属的だという、粗末な近代思考である。それは、現実ではない、現実を統御している想像域が、そのようにおもいこませているだけだ。実際には、足元の小さな枠がたくさんうごいているだけである。だが、「地域」という概念思考は、場所を社会にする作用がほとんどで、場所化する作用になっていない。これは、本来願っていることは場所化であるのに、場所思考概念がないため、社会化を要求してしまうという事態にな