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第三次川中島の戦い「真田の調略」と「信玄の緻密」な戦術が凄まじい
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第三次川中島の戦い「真田の調略」と「信玄の緻密」な戦術が凄まじい
戦国武将の戦略・戦術は【城の展開】から探ると意外な事実が見えてくる――。 そんな視点から迎えた、シリ... 戦国武将の戦略・戦術は【城の展開】から探ると意外な事実が見えてくる――。 そんな視点から迎えた、シリーズ戦国武将の城・武田信玄。 前回の【第二次川中島の戦い(以下の記事参照)】では、 武田・上杉両軍が硬直したまま動くに動けず、今川義元の仲介で両軍撤退となったところまでお送りいたしました。 では、武田信玄はおとなしく甲斐に帰ったの?なんて聞いたら、「戦国をナメるな! いぶし銀なワシを見くびるな!」と信玄公に一喝されるでしょう。 停戦の盟約など屁とも思っちゃいないのが、我らが信玄公。 早速、上杉方である北信濃衆の取り込みにかかり、緻密な攻城戦が行われました。 弘治3年(1557年)2月15日に信玄が葛山城を攻略したことで始まったとされる【第三次川中島の戦い】を見て参りましょう!