エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
なぜ中国王朝では人類史に残る「大量死」が何度も起きてきたのか?
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
なぜ中国王朝では人類史に残る「大量死」が何度も起きてきたのか?
かいつまんで話をまとめますと、魏呉蜀・三国動乱の時代を経て中国全体の人口は激減。 西暦140年の段階... かいつまんで話をまとめますと、魏呉蜀・三国動乱の時代を経て中国全体の人口は激減。 西暦140年の段階で5,000万人だったのが1,600万人にまで減り、少なくとも3,400万人が亡くなった――というものです。 記事の公開後、読者様からは「驚いた」とか「なんでそんな急激に人口が減るのよ」という反響をいただきましたが、実は中国史において人口が激減したのは三国志時代だけではありません。 英語版Wikipediaの「人為的な要因による死者数ランキング(→link)」、特に戦争部門を国別でみてみると、圧倒的に中国が多いことがわかります。 2位 太平天国の乱(19世紀・清) 3位 三国時代の争乱(2-3世紀・後漢から三国) 6位 明末清初の動乱(17世紀・明から清) 7位 回民蜂起(19世紀・清) 8位 安史の乱(8世紀・唐) 11位 国共内戦(20世紀・中華民国) 15位 黄巾の乱(2−3世紀・後漢