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《追悼》カープ名将・古葉竹織vs悲運の闘将・西本幸雄、42年前の日本シリーズは「事件」だった…近鉄選手が明かす“江夏の21球”秘話(小西斗真)
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《追悼》カープ名将・古葉竹織vs悲運の闘将・西本幸雄、42年前の日本シリーズは「事件」だった…近鉄選手が明かす“江夏の21球”秘話(小西斗真)
昭和の野球界を彩った名監督が、また1人、天に召された。古葉竹識さんが11月12日に心不全で死去。85歳だ... 昭和の野球界を彩った名監督が、また1人、天に召された。古葉竹識さんが11月12日に心不全で死去。85歳だった。 選手としても広島、南海で通算1369安打を放った巧打の内野手だったが、それ以上にオールドファンの記憶に刻まれているのは、広島の監督としてベンチの隅っこから戦況を見つめる姿だろう。「赤ヘル旋風」を巻き起こし、球団初のリーグ制覇に導いたのが1975年。監督在任中で4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた。99年には野球殿堂入りした名監督の野球人生において、クライマックスと言っていいのは79年の日本シリーズだろう。 思い出される42年前の“激闘” 相手の近鉄を率いたのは西本幸雄。「悲運の闘将」と呼ばれた理由は、ついに日本一に手が届かなかったからだが、最も近づいたのがこのシリーズの第7戦(11月4日、大阪球場)だった。3勝3敗で迎えたゲームセブンも、逃げる広島を近鉄が追いかけ、広島1点リー