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血も涙もない狸オヤジ家康の真実
豊臣秀吉の死後、徳川家康はその狡猾な本性を顕わにしそのまま秀吉の遺児・秀頼の生命もろとも豊臣家を... 豊臣秀吉の死後、徳川家康はその狡猾な本性を顕わにしそのまま秀吉の遺児・秀頼の生命もろとも豊臣家を紅蓮の炎の中に包み込んでしまうべく、一直線に突き進んだ・・・と言われていますよね。 確かに、秀吉の死後、家康に豊臣家の天下を簒奪(さんだつ)しようという意図はあったでしょうが、そのまま一直線に豊臣家滅亡にまで突っ走ったというのは少し早計に過ぎると思うんです。 人間世界の現実とは、少なからず、過失と錯誤と勘違いが絡まってくるもので、そうそう、後の世の人たちが見るほどに真一文字に進んでいくこともないわけで・・・。 まず、私が指摘したいのが、秀吉の死の2年後に起こった天下分け目の関ヶ原合戦から豊臣家滅亡の大坂夏の陣まで、15年もかかっている・・・という事実です。 これを、「15年もかけた」と見るべきか「15年もかかった」と見るかは判断の分かれるところでしょうが、注目すべきは、関ヶ原合戦のとき、家康は満